あの組織で経験したことがその後に生きた

Arlecchino2014-08-20

 お盆も終わり、世間の夏休みも一段落した感が出てきている。時間があったので最近新たにJWをやめてblogを書かれてる方などのblogをいくつか覗いてみた。やはり何方かと言えば恨みつらみが多い内容になっていた。JWは悪!という感じで。そこにまつわる思い出は嘲笑交じりの辛らつな言葉が並ぶ感じで。
 人それぞれ感じ方はあるので、昔の思い出を悪く思うもよく思うもそれは個人の所感だと思うが、おそらくそういう状況下でもその状況を楽しんでいたか、楽しまず心の中で悪態をついているかが世の中に出たときにうまくやれるかとつながっていくのではないだろうか。(断っておきたいのは悪態をついていると100%失敗するということではなく傾向として個人的に感じるだけ)
 よく、「他人は変えられないから自分を変えるしかない」という言葉があるがまさにその通りで、JWの中にいてJWを変えることは難しいことを痛感する、ならば自分が変わって楽しめばいい。その発想があったかどうか。自分が変わって、その中で自分が楽しめるようにできる範囲で恋愛体験もする、ある程度はできる範囲で社会に出て役立つ訓練の場として活用する。そんなことをするといざ社会に出た後に生きていくのに困らないし、所謂3K労働以外でも食べていける。
 思えば自分は所謂世の人のような肉体関係まで含めた恋愛はできなかったが、規律で許された範囲での男女の交遊をしていたため社会に出てからも奥手男子のようにならずにすんだし、JWの中にいても女子受けのいい服装と世の中の流行のバランシングを考えていたことが社会にでて恋愛で奏功した秘訣かもしれない。
 また、何度も書いているが神権宣教学校やものみの塔の朗読を自分のヒューマンスキルを高める場として活用していた。人が聞いて心地よい発声を確認するため、割当のたびに自分の声を録音してすり切れるほど聞いて、何度も発声のチューニングを行い自分の声を最も心地よく聞こえるように仕上げた。
 お手本として上手いとされている兄弟の講演のテクを盗んだり、アナウンサーの声をみては気がついたところを参考にしたりとして自分なりの発声や講話のこつをつかんでいった。仕事で活用するプレゼンテーションなどではこの時代に培った能力が生きている。未だに社会に出て自分の会社や他社を見渡しても、自分と同じくらいに大勢の前で堂々と話せる人間は片手ほどしかいない。おそらく上手い方々も陰で何かしら私のような努力をしてきたのだと思う。
 人間関係構築という点でもJWのあの特殊な環境は訓練の場になった。ころころ変わる会衆内の権力者とそれに踊らされるおばさん姉妹たち。特権階級の兄弟がくるとどんなに不細工な兄弟でも腰を振るくらい媚を売る若い姉妹たち。会社に入って学ぶような社会の縮図を既に若い頃から学んでいた。それらに辟易するかそれを捉えてその中でどうやっていくかを学ぶかは感じ方次第。
 多かれ少なかれ、世の中に起きていることとJW内で起きていることは根本は変わらない。やはりきらりと光る注解をすればほめられて、講話が上手いと敬われる。人付き合いが上手いといじめられたり仲間はずれにされないし、清潔感があり、さわやかな付き合いができれば女性にももてる。どこに生きていても同じ。それこそ刑務所の中でも外でも程度の差はあるがあまり起こっていることは変わらないような気がする。
 JWを離れて早10年くらい・・・。街角で見かけるJWを目にすると、組織には何の感情もないが、改めて自分が過去あの組織の中で生きてきたことは無駄になってないなと痛感する。なので最近困るのは・・・どうやってそのテクニックが身に付いたんですか?と部下や若手から言われる時だ。JWしていたから、なんてことは口が裂けても言いたくないので。独自の自己研鑽をしてきたと言うことにしてる。