辞め友と”まま”友

Arlecchino2014-12-23

 年の瀬。つい、今年あったことをいろいろと振り返ってしまう。今年も私生活では現役JWには家族以外では触れ合うことはなかった。今年になって気がついたのは、主要なターミナル駅付近にはJWが立て看板みたいなのを置いて、立ちんぼして雑誌を配っている光景。組織にいる友達に聞いたところ、あれは海老名ベテルが主導で公式グッズを配り戦略的にターミナル駅でやっているそうだ。どうりで、郊外の駅で見かける手作りっぽい兄弟姉妹とは看板とかのクオリティが違うわけだ。大方、都市部にいて普段家にいないサラリーマン世代をの獲得を狙っているのだろう。組織にもマーケティングとかを考える部隊があるのかもしれない。
 今年JWネタで印象深かったのは、旧友と再会できたこと。もちろん相手ももうやめて久しい。今の時代はSNSがあるのでそこで出会った。知り合いの知り合いがその旧友でだった。はじめ恐る恐るメッセージを送って声を掛けてみた。するといい反応が返ってきてとんとん拍子で会うことになった。その友達以外にも辞め友がいて折角だからと全員5人で会うことになった。久々に会う友達たちは全員変わってなかった。やめた間のあれこれを聞くつもりが、気付いたら自分が一番波乱の人生を送っていて、自分の話が一番その会の中の話題でボリュームが大きくなってしまった。
 集まった全員は男女さまざまで今、主婦の人もいるし働いている人もいるし境遇はそれぞれだったが一つ共通していることがあった。それは、皆が皆社会で立派に成功しているということ。ここでいう成功は社会的高位な地位にあるということではなく、自分の食い扶持を自分で稼ぐないしは、稼いでくれる伴侶を見つけたり、一人で正社員でバリバリと働いているという意味での成功だが、脱JWでそれをできるということは立派なことだ。数々の脱JWに失敗した友達や知り合いを見ているだけに、それはなおの事そう感じる。
 話を聞いているとやはり世の中で成功している人たちには共通している点があった。

1、組織や過去への恨み節がない
 もちろん思うことはありそうだが、それが別に遺恨やトラウマになるものではない。親のしつけが厳しかったとかと同じくらいのレベルでの捉え方になっている。
2、脱出時期が早い
 おそらくこれは、あとになればなるほどやり直しがきかなくなるからだと思うが、高校卒業して脱出しているくらいがぎりぎりのタイミングで、社会人になって開拓などしていると職歴の空白などもできるので脱出しづらくなるか、逆に脱出してしまうとJWより人間関係がない分悲惨な生活が待っている。
3、今を楽しんでいる
 これは1とつながる話かもしれない。恨み節を言っていても過去は変わらないので今を楽しむ性格になったのか、もとからそういう性格だから恨み節を言わないのかはわからないがとにかく今を楽しんでいる。こういうマインドがあると、「JWの方が楽しかった」などとは思わないはずだ。

以上3点が共通項と感じた。
 一方でやめてないでいまでもそのまま組織にいる、その”まま”友の境遇も知ることができた。何故知ったかというと地元で美容院している友達がいるのだが、その子の店に髪を切りにきてわかったという。入ってくるなりその子だと気がつかないくらいに老化していたという。年は私と同じなので、まだまだ老け込む年齢でもないはずだが。髪もボロボロでダメージだらけ、肌もカサカサ。お母さんと一緒に予約していたらしく、お母さんがお代を払ってくれたらしい。確か父親が未信者だったと記憶しているのでお金はあるのだろう。だが、当の本人から生気が感じられなかったとらしい。目もどこを見てるかわからないような状況で定まらない。
 私のことや、知ってる限りの友達の話を店長がしたらしいが、羨ましいとも、憎らしいともなく、とにかくほぼ無反応でまさに生きるしかばね状態だったとのこと。聞いてる話では、JWをしながら色々バイトをしていたがこれといって稼げる仕事もなくかといって開拓者をするでもなくだらだら生きてしまったというのでおそらく今更脱出もできずさりとてJWでも輝けずという状態なのだろう。一緒に来た親はその様子をどう考えているのだろうか・・・JWにいるからいいわ、と思っているとしたら・・・・それは早く「目ざめよ」・・だ。
 今年はこんな感じで対照的な友達の話を聞いたり見たりする機会があった。自分がそうだから思うのかもしれないが、生きるしかばねになるよりはやはり今を楽しみ過去を恨まず生きたほうがJWにいようがいまいが楽しい人生を送れるはずということを実証をもって再確認した一年だった。来年も楽しく全てをネタとして思い出せ、そこでの経験を糧とできるような生き方をしていきたいものだ。