アピールアピール

 大学も四年になると学校に行く必要がなくなる。家でごろごろしてしまうことが多い。本当は奉仕でも行ってアピールすればいいのだろうが、残念ながらそんな気は毛頭無い。適当に奉仕に行って時間を入れていれば怒られることもない。
 大学に通ってない人が多いし、仮に通ってても大学は忙しくしようと思えば幾らでもできるから、大学の用で忙しいという理由を出せば誰も文句を言ってこない。便利な手だ。最近はそこに就職の理由も織り交ぜて問答無用で忙しいことにしてしまっている。
 以前の日記で触れたが、同じ会衆で大学に通うB姉妹が最近まで集会に来ていなかったのだが進路が決まりいきなり補助開拓奉仕を申請していた。昨日まで不活発に近かったのにいきなり補助とは良く解らない方だ。俗に言う潜水艦JWってタイプだと思う。
 B姉妹は、休んだあとの集会ではよく注解する。来てない負い目を注解で相殺するかのような感じで。本来JWの教義からいけば、注解はPRの為にするのではなく心から神に捧げるものなのだが、結局判断をするのは人間なのでどうしてもPRに熱くなってしまうのだろう。きっとB姉妹も解ってはいるけど、自分へ浴びせられる霊的じゃないのでは?疑惑を払拭しようとしてついつい外見的に見える行動になってしまうのだろう。
 書籍研究で、心を見れるのは神だけだから、人間が奉仕の時間や集会の出席率だけで人の霊的度合いを判断しては行けないという趣旨の内容を扱ったばかりだというのに、相変わらず注解でしかできておらず、行動は変わらない。これがJWの・・いや、人間の本質かな。