由美姉妹

Arlecchino2011-02-12

 この時期と時を同じくらいに、メールが携帯に実装されるようになり、そのために一気に姉妹たちとの距離が縮まった。気に入った姉妹がいればまずはメアド交換をすればいいのだ。そうすればやり取りができる。奉仕の後とかに、お疲れ様、とメールするだけでもぜんぜん話ができる。最初はいわゆるショートメールしかなかったので限られた文字数の中、半角カタカナを駆使して濁点を付けずにメッセージをたくさん送ったのを覚えている。「コンニチハキョウハアツイテスネキョウモオシコトカンハリマショウ」みたいに濁点すら惜しく字数制限を掻い潜っていた気がする。
 次に恋したのは3歳年上の姉妹。PUFFY吉村由美に似ていたので、由美姉妹としておく。由美姉妹はPUFYYみたいな感じで普段着はTシャツにジーパンでノリも良くて明るく健康的な姉妹だった。私が年上ネタでからかうと、ふざけて怒ってくれたりして楽しかった。この姉妹の親とうちの親も気が合ったため、家族ぐるみで食事したり旅行したりすることができた。
 向こうの親も、私と付き合うことはまんざらでもない様子だったのを記憶している。さすがのJWなので、「YOUたち付き合っちゃいなよ」とはいわれなかったが、二人で色々やり取りしてもほほえましく見守っていてもらえ応援してもらえた。他の姉妹たちも連れて、お酒を飲みに行ったりスキーにいったりキャンプしたりランドマークに出かけたりして楽しい2年間くらいを過ごした。無泊の日帰りで出かけたディズニーランドでの皆でのデートは最高の思い出だった。無泊だから泊まりじゃないということで保護者なしで許された。
 CDの貸し借りをして、そのときCDの中に手書きメッセージをお互い書くのが暗黙のルールで、ありがとう、という言葉に加えて四方山話も書いたりして軽い文通なんかもしていた。そのやり取りが当時たまらなく楽しくて楽しくて。他の兄弟達ができてないことをこの姉妹と二人でできるという秘密の共有がたまらなくたのしかった。
 ただ、JWゆえに、さらに一歩踏み込んで結婚を前提に付き合ってと当時の若い私には言えずそれ以上の進展が難しかった。当時私は、収入が少なく結婚してその収入を奥さんに晒すことがプライドとしてできなかった。その当時結構一般のサラリーマン並に稼いでいれば今頃ここでこういう日記を書いていないかもしれない。
 この姉妹とのオチは突然だった。ある日から姉妹のメールの返しが悪くなった。集会でもあまり注解しなくなり疲れ顔に。そして数ヶ月たったときいきなり会衆を移転すると言い出していなくなってしまった。突然だった。親しかった自分ですら聞かされていない別れだった。それから数ヶ月して結果が分かった。その姉妹は世の男性と恋に落ちて妊娠していたのだ。結婚をすぐしたため不道徳という罪に問われることがなくグレーな形でJWを後にした。付き合いだしたのはちょうど私にメールが来なくなった半年くらい前。
 もし、一緒にすごしている絶頂期にプロポーズしていたら、結果は変わっていたのだろうか?とか色々考えたが、タラレバを考えても結果は変わらないので、余り考えないようにした。これが由美姉妹との恋。