JW用語

Arlecchino2004-08-31

 エホバの証人生活を長くやっていると、“世”という単語で世間一般を差別をしているような気がする。エホバの証人以外の宗教を全て“バビロン的”と一括りにしていう言い方もすっかりおなじみ。奉仕などをしているとおばさん姉妹がエホバの証人に批判的な家の人を評して

だめだめ、あそこの人はバビロンだから。

等という。
たまに、外で話す時もうっかり出てしまうことがあって、そう言う時は自分が二世なんだな、ということを思い出させる。
 他人を見下していないとはいうが

だめ、あの人達は世の子でしょ。遊んじゃダメ!

という言葉にはどうも選民意識を感じずには居られない。一世紀のパリサイ人がアムハーアーレツを見下したのと同じ風潮かと。勿論、パリサイ人と違うのは、アムハーアーレツでも仲間に来るなら拒まないという点だろうか。そこが全然違うのよ等と誇らしげに仰る方々がおられる。
 でも、北朝鮮だって仮想敵国として日本を敵視してるけど日本人が「将軍様に仕えたい」と申し出て亡命してきたら手厚く保護するだろう。そう考えると、エホバの証人はエホバ国という仮想の国の中に生きているのと同じである。友達の誰かが

北朝鮮の人達の顔ってエホバの証人と似てるよね

と言っていた。確かに、外界を遮断して、自分の国以外は敵視して、一つの事だけが真理だと思い生き、より所は神(=将軍様)だけという点では同じ土壌がある。そういう環境に居るとなんというか自分の頭で考えられないようになり、ああいう顔になるのかもしれない。彼らもJWも外の世界を知らないうちは幸せなんだろう。そう考えると人の幸せなんて個人個人だから、これが幸せだという押しつけは当てはまらないような気がする。