酒の交わり

 JWは単に遊ぶことを“交わり”と言いたがる。「今日、交わりませんか?」なんてよく気軽に誘われるけど、よく考えたら世の中では全然使わない言葉だ。交わるってよく考えたらちょっと卑猥。
 昨日は友達幾人かと飲んだ。酒をちょびちょび飲むというよりは、酒を浴びるほど飲みまくった。思えば実家に居た時、酒は飲むには飲んでは居たけど、今のような無茶な飲み方はしていなかった。周りがJWだらけになれば必然的に酒は大人しく飲むようになってしまうのだろう。こっちにきて若い子達に囲まれているとイッキなどもしなければ行けない時もある。実家に居た時より格段に酒に強くなった。ビールや焼酎を浴びるように飲めば嫌でも強くもなるだろう。
 朝までどっぷり酒を飲んで酔いつぶれたあと、全員で暫く寝ていたが、一人、また一人となんとなく起きだした。やがて、或子が食事を作ってくれたので食べることに。その飲み会は世の子だけだったのだが、なぜかその食事の雰囲気が“交わり”っぽかったので、つい、祈る動作をしてしまい慌てて辞めた。一人暮らしをしてると家で一人では祈らないので、つい食事とかでお呼ばれした時は祈る動作をする習慣が付いてしまっている。逆習慣とでもいうのだろうか。
 祈りというものも心からすればいいと思うのだが、この組織ではいつも食事前に寝る前になどと習慣づけられてしまう。そうなると、段々中身なんか無くなってくる。神との会話だと思えなどと言うが、相手も居ないのになぜ話しかけられるのかと思ってしまう。自分の心の中に神を感じろということなのだろうが、ちょっと私には昔から抵抗があった。一人暮らしでそれが一気に顕在したというところだろう。