大学進学の是非Ⅱ

Arlecchino2004-12-25

 昨日までは、一人間としての利益を述べた。では、真面目JWとして何か得るべき所があるか?本当に真面目ならば私は余り益が無いのではないか?と思う。勿論、上記のような事柄が利になることもある。だが、それらは同時にJWの教義に疑問を挟むきっかけとなる。JWの教義は論理矛盾がない訳ではないので、それに目を瞑るか知って葛藤してその後もJWを続けることになる。
 またJW大学生に多いのだが、学校はそこそこに奉仕に明け暮れるというパターン。卒業後は開拓者。将来開拓を辞めたときの保険に、大学に行くというメリットはあるのだろうが、大学を出て開拓しかしないのならば別に大学にいく必要はない。恐らく、大学という保険も欲しいのだろう。本当に専心しているのか怪しいものだ。
 「大学を出たのに開拓をしています」等と自慢げに言う人がいるが、中には就職が嫌で開拓に行く人もいる。開拓は申請だけでなれるので別に難しいことではない。しかも周りは誉める。20代になったからといって、大人なわけではない。子供が「いい子ね」といわれて喜ぶのと同じだ。JWという狭いコミュニティの中で多くの人に誉められるとそれが「正しい」と思うことになる。そして期待に応えようと思い益々開拓街道まっしぐら。
 JWの幹部になるためならば、大学進学は有用だろう。ベテルでは東○大学や早○田・慶○閥というものがあるという。やはり、アー○フも創○学会にしても、どんな組織でもTOP集団はインテリだ。開拓をしたり、しつつ大学を出ているのなら有用と判断される。しかし、本当に会衆のはじっこで地味に開拓をして行きたいのならば大学は要らない。逆に大学に行ったのに何故こんな事をしてるのだろうと疑問に思うこともある。以前居た会衆では有名医大と有名国立を卒業した秀才が居た。しかし、二人とも会社を辞め地味に開拓をすると「俺は大卒なんだ」とバカにしても居ないのにムキに誇示したがるところがあった。酒を飲むと愚痴。そんな思いを抱くなら行かない方がまし。陳腐なプライドが育つだけである。軍隊などでは一兵卒には知識はいらないという。上官の言うことを聞く忠誠心と、愚直なまでにそれを行う実行力がいるだけ。知識があると、一々反発して扱いづらいというわけだ。JWもそれがあるので大卒を嫌うのかもしれない。
 末端信者として過ごしたいのなら大学には行かず、幹部信者になりたいのならば大学に行くという感じで理解するといいかもしれない。これは全て超私見。聞くも聞かぬもこれを見ている方々にお任せします。