ニートな無目的海外旅行者

Arlecchino2005-01-12

 スマトラ沖の地震で、海外にいる邦人にも被害が出た。その中には単なる短期旅行者でなくバックパッカーという長期滞在の旅行者もいる。自分の息子は大丈夫か?という思いで町中に尋ね人の紙をだしたりするそうだ。ところがとうの息子たちは自分が無事だったのに、それを知らせようとしない。なぜか。元々日本がイヤで自由を求めて逃げ出しているので、無事だとしれたらまた拘束が強まると考えているようだ。
 ある学者が「彼らは日本でいうニートやフリーターと同じなんです。海外旅行というもので粉飾されているから周囲も気がつかないですが、何の目的意識も持たずただ日本を飛び出しているだけなので働く意欲や、社会への適応という意味で見てみるとニートと全く変わりません。だから無事でも社会と連絡を取りたがらないで一人を好むんです。」と言っていた。なるほど確かにそうだ。海外とか英語と聞くとつい、無条件で凄いと思ってしまっている節がある。
 そういえば、会衆にも1人くらいはこんな人居るのではないだろうか。ある姉妹は30過ぎ*1で独身なのだが「私日本に居たら息が詰まっちゃうのよ。」というのが口癖。一年間くらい何かのバイトでお金を貯めては、ぴゅっと海外に行き半年とか一年帰ってこない。帰ってくるとまたバイトで働き始め海外に。その繰り返しで三十路。昔は、そういう人は行動力がある人で、語学もできて凄いと思っていたが、最近は「別に開拓をしているわけでもない、何かを学ぶという目的意識を持っているわけでもない、単に海外がいいというだけ」だということに気がついた。
 しかも、そういう人は決まってちょっと偏屈。日本の平凡な日々に飽き飽きしてとかいうが、毎日住み慣れた日常を見たらそれは誰でも飽きる。私もたまに海外に行くと異国情緒に驚き海外はいいなぁと感じるものだ。それは別にその人だけでなく誰でも感じる。だからこそ旅にいくのだ。旅は癒しになり、日常の喧噪を忘れさせる。ある種麻薬のようなもの。それを常習し続けているのが無目的のバックパッカーなのだ。誰だって働かなくていいなら働きたくないし、ずっと海外を彷徨っていたい。でも、それをしないのだ。分別あるから。
 海外の雰囲気や人に憧れ、あの非日常の虜になってしまい、30をすぎても定職に就かずぶらぶらし、気の向くままに生活している。海外というおまけが付いてくるから、冷たい目でみられないものの、もし海外でなく日本国内をさまよっているということに置き換えたら、周囲の人はどう判断するだろうか?そう考えると、海外にぷいっと居なくなる兄弟姉妹は決して褒められたものではない。単なる現実逃避者。たちが悪いことに、英語ができないおじさまおばさまはこういう人に劣等感を感じて、やたら褒めちぎる。英語・・。これができるかできないかだけで手のひらを返して絶賛する。これもJW内のニート増殖の一助となっている。
 勿論、語学留学や宣教奉仕に役立てたいという思いの方もいらっしゃるので、長期海外滞在すべてを非難している訳ではない。無目的の長期海外滞在者はニートに酷似していると思うだけ。そういえばこういう兄弟姉妹はプライドが高かったり嫌みだったりして、人付き合いという点でまともな人を見たことがない。ニートやプーと同じと考えれば納得がいく。更に言うと、ニートやフリーターを非難している訳でもない。資格試験のためやむを得ずしている方もいるだろう。だが、「目的無く」そういう生活をしている人はどうかな?と思うだけである。
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過去の日記で、社会人時代の思い出を一個追加しました。

*1:この日記よく30過ぎ独身姉妹が出てくるが、別に恨みも差別も偏見もない。本当にそういう姉妹なので。