学歴自慢

Arlecchino2005-01-11

 この日記にも書いていたが、一昔前私は高卒で肉体労度をしており劣等感の固まりだった。知り合いに大卒の兄弟とかが居て交わりの時とかに聞いてもいないのに「大学の授業でさー、こんなことがあって。」とか「単位は取り終えたから。」なんて話をし始めると苦々しく思うと同時に肩身が狭い思いをしたものだ。
 我が家は私以外大学に行っていたこともあって、家族同士の交わりで私にだけ勉強のことを質問されなかったり、「お兄さんは頭いいですね」とか「お姉さんはご立派で」という言葉を聞くたびにショックを受けていた。子供も正直で、算数程度のことでも私を素通りして兄や姉に聞きに行っていた。それを見るたびに自分のせいだ。自分がしたこと・・とあきらめていた。そして、そのたびに私は絶対に人をそういうことで不快にはさせまいと思ったものだ。
 時は経ち今、こんな境遇に居る。自分が憧れ故に転じて嫉妬していた大学入学。それがかなった。うれしくてうれしくて本当は自慢したい位。自分の名前が書けば入れる程度の大学ではないことも、うれしさを倍増させた、勿論上を見ればきりがない。所詮私立大学とも思う。でも、それでもうれしいのだ。
 そんな境遇になったとき、自分の言葉が今までと違って些細なことをいってもひけらかしに聞こえたり、嫌みになってしまうということを悟った。今までと私は立場が逆になってしまった。勿論だからといって馬鹿に振る舞うということではないのだが、前のように前に前に出ていると他人から見たら*1癪に触ることもあろう。自分としてはうれしかったり、単純に話したいから大学の話題をだしてしまうが、同い年位の子がそれを聞いて顔を曇らせていることがあった。それを見たとき、自分も気を付けなければいけないことを悟った。
 それと同じくらいに、実は、大学の話をしていた兄弟たちも別に自慢をしたかったのではなくて普通に話していただけなんだということも解った。小学生が今日学校であったことを皆に話すのと同じで、それと何ら代わりがないことだった。しかし、他人は私の昔と同じでそうは見ない。人をそこで傷つけたらその腹が立った兄弟と何ら代わりがなくなってしまう。
 社会にもいえると思う。今は新入社員の身。これから、私が社会で成功するかしないか解らないが、こういう今の平の気持ちを偉くなったとしても忘れないでいたい。これは世だけでなくJWでもいえることなのだが。そういう心がけを持っている人が増えればこの組織はさぞ暮らしやすいだろうに。
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*1:特に、大学に進学していない方々。