認める勇気

Arlecchino2005-01-29

 30近いJWの開拓や元開拓の方々と話す機会があった。そうすると、皆さん疲れていたり、愚痴を語り出す。決まって聞くのが「あのとき頑張っていれば」などという後悔の話や「自分て、やれば出来ると思うんだよね。」など、自分の現状を認めたがらない話。
 人間は自分の実力をどこまで把握しているのだろうか?昔読んだ本の中では

人間というものは、できる、俺は出来ると思い続ける。しかし、死ぬ間際に悟るのだ己の限界を。

という一節を読んだことがある。中学、高校、大学、会社と進んでいっても人間心のどこかで「やれば何でも出来る。自分はやらないだけだ。」と考えている。しかし、現実はやってもできないのだ。それを認めるか認めないかで人生はだいぶ変わってくる。
 部活動などで、限界まで己を鍛え上げた人はその道では100%死ぬ気の努力をしたせいか、自分の天井というものを悟っている。しかし、そうでない人はいつまでたっても「自分はやればできるのでは?」なんて思ってしまっているようだ。知り合いにも、高校時代もう少し頑張ればもっと良い大学に行けた。今こんな大学(会社、状況)にいるのは不本意だなんて思っている人がいる。しかし、そうだろうか?それは言い訳をして自分から逃げているだけではないだろうか?
 ありのままの自分を受け入れられない人は、精神的に悩む人が多い。ベトナムの帰還兵も自分は人を殺したくて殺したのではなく、命令されたから殺したんだと思いこんでいるうちは毎日悪夢に魘されたそうである。しかし、自分が殺したいから殺したことを認識し現実と向き合ってからは悪夢は消えた。
 このモデルケースを見るまでもなく、結局人間はありのままの自分を見つめて、その中でどう動くかが大事。今の自分を否定して憧れてしまうからその理想と現実のギャップに悩み病んでしまう。「俺って馬鹿だよ、でも馬鹿だけどその能力の範囲で頑張っているよ!」と言う人がいたが、その方が現実的だ。きまって、そういう人は生き生きしている。
 JWで後悔して今夢見がちに過去を語り自分の可能性を信じる人がいる、信じているなら努力をそうでないなら現実と向き合う認識を。とお勧めしたい。