努めを果たす

 会衆から居なくなることを告げてから、周囲では食事招待などをしてくれる人が増えた。今まで呼ぶ呼ぶと言っておいて、一回も呼んでくれなかった長老夫妻が呼んでくれることに。
 この長老夫妻は近年まれに見るとてもいい人で、人間としてはかなりの人格者。お申し出は大変嬉しい。裏もないし本当に善意から食事招待してくれるんだろうな、とは思った。そうは思うのだが、こういうのって自己満足とは言わないけど、何か自分のつとめを果たそうとして無理矢理している感じがする。
 今まで一回も呼んでくれなかったのに、ここに来て「今まで呼ばなかったから」という理由だけで食事招待をするのは、私を純粋に呼びたいというよりは、自分の中で食事招待をしなければならないという、ある意味押しつけ的な努めのキモチが勝ってそういう行動を取らせているように思う。
 今まで幾らでも呼ぶ機会があったのにしなかったということはやはり「呼んでおきたい」という努めを果たしたいだけで、私の事情と言うよりその長老夫妻の事情を優先している気がする。
 裏はないとは思うけど、要は長老だからとかJWだからとかそういうキモチで呼んでくれているように思えるのだ。まあ、何を言いたいか解らない文になってるけど、何となく解って頂ければいい。それが悪いとも思わないし、気に入らないわけでもないけど、ただ、そう思った。