どんな時も

Arlecchino2005-02-25

 幸福にも私には弟分のような存在の友達の兄弟が幾人か居る。よく、飲みに行ったりしてお互いの境遇を素直に話し合う仲。出会うまでの過去の人生では色々な事があったお互いだが、今はこうしてお互いが出会い、楽しく酒を酌み交わしている。実に不思議な光景。それぞれの決断が左・右違っていたら今こうして出会ってはいないはず。
 こういう仲の良い関係が出来あがってくると別れが辛い。頭では解っていても私の職場の配属に伴い、この地で培った友人達とは離れることとなる。それを理解した途端感傷的になってしまう。こういう出会い別れを繰り返して人は大人になっていくのだろうか。自分がドラマの主人公になったわけではないが、少しそんな気分にも。
 出会い別れといえば、実家の会衆で私が以前付き合っていた姉妹が、或兄弟と結婚する事になったということで婚約発表をした。男はこういうとき未練たらしくていけない。「自分と今でも付き合っていたら・・・」そんなifの事を考えてしまう。でも、付き合っていた当時は(私は)全然結婚など視野に入れていなかったので、他のいい人を見つけて結婚するという、こういう事の成り行きも自然だといえよう。
 良妻賢母系の教えを昔からされてきたからか知らないが、JWの女性は結婚を視野に入れている人が多い。だから、「結婚前提ではない」みたいな付き合いは余り望まれない。仮に口でそう言ってても内心は「そうはいっても結婚してくれるんだろうな」的な期待も含まれる。それに応えることはあのときの私には出来なかった。
 人は出会い別れを繰り返していく。恋愛でも友情でも。これから私が赴く地でどんな出会いが待っているか解らない。その前に、悲しく辛い別れがある。これもまた自然の理。