世の中色々

Arlecchino2005-05-17

 とあるJW離れ系blogを閲覧していたら、ある話題に対してコメント欄が凄いことになって荒れていた。荒れ出してから管理人さんがカキコを停止しており、何となく手を焼いておられるのを察した。
 話題が性に関する事だったからか?まあ、見てると男性の食いつきが多いこと多いこと。JWだーとか、一世だとか何だかんだ言っても男性は性に興味津々なのは事実。私自身それを否定する気もないし、気取って綺麗事を言うつもりもない。それに、世の中は価値観が多様なのは当たり前なこと。特に、こういうblogというものは何かしらの主張を込めて書いていることが多い。書き手の主観が大きく反映されるのだ。本音に近いものが。そうなると、当然読んでいる人達の中には違和感を覚える人が居るのも当たり前。読み手と書き手で、思いや主張がずれて当たり前。
 差し障りない事を書くことは幾らでも出来るけど、普段日常でそういうことを言えないから余計こういう場を借りて、鬱憤を発散して過激な発言をしているのだ。こんな場でも萎縮して適当な事を言っていたのでは何の為のblogなのか解らない。見る人は、それを解って見るべきだと思うし、自分の意見と違う事が書いてあるからと言って躍起になって反対したり、バカにしたり挑発気味な発言を書くのは、JWとしてどうこう言う前に一人間としておかしいと思う。人の道徳観を批判する前に己の行動を見直した方が良いかも知れない。
 作家と素人の書き手を一緒にする気はないが、blogを公開している方達はある程度その自分のプライベートや、本当は見せない手の内なような“考え方”も見せている。ある種作家と同じ。一方コメントを書く人達はさして、自分の考えやプライベートは書かないクセに、こと自分の考え方と違ったり受け入れれられないと批判的な書き方になる。言いたいことがあったら、まず、己でblogなりHPなり公開してそれで自己主張しろと。それもしないで、他人様の庭にずかずか上がり込んで好き勝手言って。開いた口がふさがらない。自分の考え方が正しいとか、絶対だと思うのは勝手だが、世の中はそんなに単純ではない。
 と、こんな事を書くと「blogは公開しているんだから、コメント書かれるのが嫌なら閉鎖しろ、コメントを書けないようにしろ」なんて極論的な批判も受けるかも知れない。それも、一つの意見でしょう。したければその人がblog書くときにそうすればいい。人にまでそれを強要してはいけない。それに、そんな文句をいう客はこっちからお断り。お客様は神様ということで図に乗って尊大な態度を取る輩が多いが、実は法的にはお店も、客を選ぶ権利がある。blogの管理も同じ事。文句言ったり、管理人を吊し上げたり、皆で叩いたりしようとするような狭量な意見は無視して、思うとおりにサイト運営を行えばいいと思う。
 私はネット上で神のように英雄視されたりするのは嫌いだが、真っ向からサイトの内容を批判してくるのも嫌い。適当に見ていてほしい。たまに共感したり、ちょっと意見を交換したり。そんな感じを求めている。なので、blog趣旨に反する書き込みは削除しないまでもスルーする。
 ふと、見て気になったので思わず、その管理人さんの応援の意味も込めて今日の日記の話題にしてしまった。当然、私のblogもこのスタンスなので、変に悪意ある書き込みや批判一方の書き込みは受け付けません。あしからず。