地域大会

Arlecchino2006-07-02

 時期柄地域大会について書いてあるのが多かったので、地域大会について書いてみようかと思う。思えば初めて参加したのは子供すぎてプログラム内容は覚えていないけど、その時は冷やしタヌキ蕎麦とか、かき氷が大好きだったことは覚えてる。フライドポテトもあったきがする。当時は今と違ってお祭りっぽい感じがあった。文化祭とかで、模擬店を準備する様な感じか。チケットとかがあって、お金でやりとりするのではなくチケットでやりとりしていた。牛乳は30点みたいな感じで。何がいくらかイマイチ覚えていないが。
 あとは劇が楽しかった気がする。今よりも小道具に凝っており、演出も緻密だった。台所でクッキングするときなど、じゅ〜と音が鳴ったものだ。そして、お肉を食べるなんて演出があったりして、かあり他の死かったのを覚えている。いつからだろう・・・内容が教理一辺倒で眠気を誘うだけになったのは。それからはもう見る気も起きなくて少なくとも2000年位からは劇は寝る時間にしていた。
 後で、大会後に復習とかがあるがその時何に感銘を受けましたか?なんてのがあった気がする。あれを聞いてるとよくぞまぁ、覚えているものだと感心してしまったが、あれは大会前にここは聞きますよと予め振り分けしておくからだろう。シモベになるとそう言うところが大変だなぁというのは見て取れた。
 しかし、一番特筆すべきはあの会場の異常さだろう。はなさんの日記でも書いてあったが、目が死んでいる。取りあえず褒める褒める。その姿勢だけがよくわからなかった。拍手のし時というのが無かっただろうか。拍手をしなければならないときとかが、最後のプログラムが近くなるにつれて多くなる。「○○ではないでしょうか!」と語尾を強めた場合は、拍手。新文書発表は拍手。語気を強めて「〜です!」とか「なんと〜」なんて話があったら拍手。誰からも教えられないけど、そうするべきというのが解った。
 おかしな話だ、感動してないのに拍手。アメリカ人なら拍手するのがわかるが、日本人で無理矢理アメリカに染めるのもどうかと思う。文書などにまるで興味がなく、いつもお昼の事と大会でドレスアップしてきてる若い姉妹達に興味があった気がする。兄弟であったなら解ると思うが、朝歩き回ってどこに○○姉妹がいるかなどをチェックしていた(笑)昼休みとかは、その辺を彷徨いて挨拶をしたりして、話をしたり。
 朝一で若い姉妹の位置を確認してた。やっかいなのはその日毎に席が替わってしまう点だ。そこは非常に厄介で昔はかなり大変だった。携帯が出来てからは、親しい姉妹から狙っている姉妹のことを聞き出したりしていた。そんなのも若い兄弟達にとっては夏の風物詩だった気がする。
 しかし、毎年地域大会がお盆前に設定されていたので、それが終わると一気に夏らしくなくなった気がする。地域大会の終わりは、文字通り夏の終わりを意味したのだ。皆で花火を見に行ったり、浴衣で遊んだりという思い出は余り無く、どちらかというと地域大会があったということで短い夏が終わっていた気がする。この年になって振り返ると、あれはあれで幼い頃に受けた教育の一環と思えば悪くはないかもしれない。