ラボラトリー

 大学に在籍している間は、集会にももちろん定期的に参加していた。が、その一方学校では今までの自分が試したこともない事に色々手を出してみた。せっかく与えられた本当の意味での自由を活用して、これからの自分の生き方を探してみることが目的だった。ここに私は大学生活を、人生のラボラトリーという位置づけた。
 それからは、サークルや合コン、大酒を飲んだり、デートなど一般的にはJWには禁じられている事にも手を出してみることに。だが、タバコなどは興味もないので特段試そうという気にはならなかった。
 ある時はデートしてるところを会衆の人に見られて大ごとになってしまった。ある若い姉妹が奉仕をしている時にぱったりと出くわしたのだ。逃げたとしても余計怪しいし、一応にこやかに「こんにちわ」といってすれ違ったものの、気まずさを感じた。不安は的中して、次の集会で私は呼び出しを喰らった。色々誘導尋問をされたが、女性と歩いてた事実は認めたが別段やましいことはないということを強調した。デートと認めなかったせいかこれ、といって処罰は下されなかった。結局この組織は決定打が無ければ自白制だからだろう。それからは、デートの時は気を付けようと思ったが、所詮狭い範囲の話。会う時は会うし会わない時は会わないものである。
 こういう生活は所謂裏表のある生活と言われそうだが、私自身は別段良心が痛む事はない。二世は複雑な家庭環境にある。世が目の前にあるのに世のことはしてはいけない、という基準である。母親と未信者の父の二重の基準。しかも、自由という名のもとに押しつけの教理を幼い頃から与えられる。二十歳までなら親の生き方を押しつけるのは解るが、それ以降は本人の問題で自由に決定るすべきである。しかし、エホバの証人の親にそういう思考は欠落している。親自身は尊敬できるし感謝しているが、親の考えは尊重することはできない。
 かといって、親の扶養から離れていない今はそんなに大胆な行動はできない。ならば私なりの方法で自分の生き方を模索したいと思ったのだ。裏表と言われようがなんと言われても私は、私の好きな事をやって、色々試して改めてこの組織に残るべきかどうかを決定する為の材料にしたいと思う。