久々に

Arlecchino2004-08-25

 大学に行った。休み期間中ということもあり、学校は閑散としていた。しかし勉強している子はしているようで、私の友達とかには遭った。皆、国家公務員Ⅰ種や日本銀行電通に受かっており、びっくりしてしまった。自分の身近にそんな人が居たとは。また改めて同級生を見直した。合格しているのになぜ来てるのかといえば、資格の取得に励むためだそうだ。出来る人間は違うものだと再認識。
 私はと言えばそれに比べたら大した就職先ではないので、その人達の前では小さくなっていた。とはいえ今までのJW人生において惰性で就職した先に比べたら、雲泥の差である。上を見ればきりがないが満足している。
 就職を終えても、尚資格の勉強に来るとは、一流と私のような三流の違いを見た気がする。私は努力する才能には恵まれてない気がするが、隙間を見つけてそこを突く才能には長けていると思う。それがあるから今ここにいられるわけなので、私は私で等身大の幸せをかみしめていきたい。
 帰りがけにJWの姉妹に遭った。奉仕をしていたようだ。まだまだ暑い日が続く中ご苦労なことである。その姉妹は、漢字が読めない旦那さんと一緒に暮らしている姉妹だ。漢字が読めないので当然会衆内で特権は無いに等しい。何の係りもやっていない。男でこの組織にいて不活発でもないのに、特権なしというのは楽しいのだろうか?
 能力だけではないというものの、一定の能力で特権の与奪を決めるのがこの組織。