神の法は勝る

Arlecchino2004-09-03

 今週の書籍研究の範囲は『エホバの律法は完全』というタイトルで、エホバの律法と現代の法を比較考察している。結果的にはエホバの法が素晴らしい、という結論に持っていくことが前提なのでかなり強引な展開が目立つ。
 だが、実際書籍では優劣を付けているので、それらがどういう根拠か考察してみたい。法律の多さという点で、600の律法と15万ページのアメリカの法を比較して煩雑と言わんばかりの注解が載せられていたが、昔の法律は少ないのが当たり前。それらが連綿と受け継がれて足りないところを足されて現代の法が出来ているのだ。ページが少ないからシンプルで素晴らしいという指摘は説得性に欠ける。
 8節ではイスラエルが衛生や科学の点で諸国民よりも際だっており、それがエホバの神聖さを反映しているとある。確かに、排泄や死体の扱いなど進んでいる面はある。JWの書籍は進んでいたり有利な所だけはここぞとばかりにアピールしてくる。現代科学と矛盾する箇所があると、そこは「聖書は科学書医学書ではありません。」と解答する。これでは、少し優れた記述があるだけで直ちに人間の法より素晴らしいと言うことはできない。劣っている面も多々あるからだ。
 その一つに、ハンムラビ法典の様な「目には目を歯には歯を」という掟がある。11節では公正さと表れとしているが、実際これは応報論というもので前近代的な法に他ならない。殴ったら殴り返せと言っているのと同じだからだ。そう突かれたら困るので、この箇所では全然細かく書かれずさらっと公正さだけをアピールして終わりにしている。
 また、12節では証人が2人要ることから、現代のようなえん罪が無いなどという注解をした人が居たが、それも勘違いしているとしかいいようがない。現代だって証人は一人だけではないし、人間という曖昧な証拠だけが決定的証拠となる様なことはない*1。あたかもエホバの法だけは完璧という論調はきわめて強引としか言いようがない。
 そも、比較することなど出来るのだろうか?日本で言えば十七条の憲法や、武田信玄甲州法度とと現代の法律を比較しているようなもの。比較はできるが、どちらが上だ下だと言えない。なぜなら、前提が違うからである。前近代的な法はあくまで治者が被治者を治めるための法であり、近代法は市民が国家の横暴を抑制する働きがあり、まさに逆転の発想となっている。これらどっちが勝っているかなど、スピードスケートとフィギュアスケートどっちが素晴らしいか言っているような物で比較のしようがない。
 それに、律法は神を中心にしており、随所に神権的な要素が入るし、道徳規範論的な所がある。道徳規範は個人の主観に寄るところが大きいので近代法では除かれている。この部分が入っているだけで、宗教法と近代法は考察こそできるが比較対象にはなり得ない。勿論、科学や衛生の面で優れた点があったことは認めるが、それと同時に前近代的な部分があるところも認めねばなるまい。
 こういう古代の前近代的な法などを無理矢理現代に適用するのではなく、古代は古代で素晴らしい所を発見し、現代法にも素晴らしい所があることを認めて欲しいものだ。あまりに糞味噌に言われていたので弁護したくなった。

*1:希にあるが。