今の自分

 ふと考えることがある、高校時代に嫌いだった裏表同級生JWと今の自分は何が違うのだろうと。あの当時は批判的に見ていたが、今になればやっていることは同じかも知れない。
 集会場ではそれとない顔をしてその裏では、やりたい放題にやっている。果たして何かの違いがあるのだろうか。確かに表向きは同じなのかもしれない。しかし、彼らはあくまでJWの中でも出世しようとしていい顔をしている。その裏で、バレたらまずいギリギリのことを行っている。そして、JWの本質についても何も考えないでただ適当に過ごしている。惰性的にJWを信じて生きている。
 私と彼らとの違いといえば、JWについての考え方の違いという点だろうか。組織が正しいと思っていながらそれに反する行動をするなら裏表ということになる。しかし、組織が正しいという前提に疑問があるなら、それは裏表のある生活とはいえない。
 間違っているかもしれないとJWが本当に正しい組織なのか?付いていって人生を賭けて損がない組織なのか?そういうことを考えながら今属している。そして疑問が頭をもたげている。しかし、現状まだ組織を辞めるわけにも行かず妥協点を探しながら、世でもJWでもそれなりに生きていける道に落ち着いている。その為にはあれやこれや考えていわゆる背教的な考えになっているかもしれない。
 背教的とかそうでないとかはJWの中の視点の話である。少し引いて見れば、それは真面目にJWの事を分析していることになる。現実、考えることを許されないこの組織は少しおかしいと言わざるを得ない。なぜ、正しいか間違いか分析せよと言いながら、JWの本しか読めないのかそれでは比較のしようも無いではないか。昔から疑問だった事がある。それは、果たして二世は自分で考えて今の道を選んでいるのか?というところだ。周りにさり気なく聞いても「そんなのこの組織が正しいに決まってるから考えもしなかった」などお決まりの言葉しか返ってこない。誰にも聞けないだろう、自分の中で模索していくしかないのだ。
 あくまでも私の中の理論・結論であり、他の人から見たらどっちも同じと言われるかも知れないが、それでも私はこの生き方を続けていくような気がする。それが今は正しいと信じているので。