迫害の嵐

 「明日迫害が始まったら、あなたはどうしますか?」最近、こんな疑問の元に友人と話したことがあった。正直今の私は逃げると思う。爪を剥がされたりムチを打たれたり、青春の大事な時期を牢屋に入れられたりしたらたまらないというのが内心だ。戦争が終わればまた元に戻るのだし、その期間まで忍んでいればいい。
 友人に聞いてみた。友人は「投獄覚悟で迫害を受け入れる」と言っていた。立派なものだ。JWの経験では迫害で痛めつけられた殉教者の様な人の話しか出てこないので、真実が解らない。その前に何人逃げ出したのか実際気になるところだ。迫害を耐えることは組織の発展に繋がる、迫害を忍ぶことでJWはまた大きくなると言う。
 後付けで戦後また発展したから、この組織は神の是認を受けていると言っているけど、創○学○だって戦前は戦争拒否して、信者は投獄されていたらしい。それが今じゃJWなんか余裕で凌いでいる規模だ。信仰を守り抜いたから組織が祝福されたというのは詭弁だろう。きっと、今から第二の迫害の波に備えて鼓舞する意味もあるのではないかな。
 確かに私も信仰が本当にあるならば、迫害もなんのそのなのだろう。しかし、今の私にはまるでそういう信仰などはない・・・迫害が始まったらここぞとばかりに脱出してしまいそうだ。悪い人間には楽園の復活の希望などないから。しかし、迫害は来てみないと解らない。実際始まったら始まったら始まったで逆に真面目になったりして。