寒さと寄付

 関東も結構な寒さ。新潟の被災者の方々は、これ以上の寒さの中を耐えているのだろか。そんなことが気になりつつも、家では暖房を付けてぬくぬくしてしまっている。申し訳ない。大学とかで学生ボランティアを募っていたが、正直そこまでの気概はない。多分立場が逆でもそういう人が多いだろう。災害なんか我が身に起きないと本気で対処しないものだ。
 昨日の講話で、世の中の組織は一回の足しにしかならない寄付を行うが、エホバの証人は永遠の助けになる音信を伝えると、講演者が語っていた。スペインでは「魚をあげればその人を一日救うことになるが、魚の採り方を教えればその人を一生救うことになる。」という諺があるそうだ。それと対比させても寄付をせず、伝道をするエホバの証人の業は素晴らしいということだった。
 確かに、魚の採り方を教えてあげるのも大事なのだが・・・その採り方を習得して生業にできるまでに何年かかるのだろう?その間魚をあげなかったら“その人”は空腹で亡くなってしまうかも知れない。それと同じで、JWが、音信の大義名分の元に社会的な寄付を一切関心示さない所が納得いかない。そういえば昔、緑の羽根や赤い羽根募金をしたいと親に言った時、烈火のごとく怒られた思い出がある。寄付をすることも悪い事ではないので、したいならしてあげてもいいのではないだろうか。