人間不信

Arlecchino2004-11-08

 人を信用出来る人が居る。人を信用できない人が居る。この間、会衆の同世代の子と話した時それを感じた。というか、最近のJW二世は人を信用していない子が多いように思う。世の子とは、この4年間自分なりに腹を割って付き合ってきた。酒を飲んだり遊びに行ったり色々な体験をしたが、世の子で信用していない人は少ない。いや、そういう雰囲気を感じさせる子は居ない。
 ところが、JW二世はなかなか自分を見せないようにしようとしている子が多い。私が、段々氷を溶かす様に相手の信用を徐々に勝ち取り、なぜそうなのか話しを聞いてみると過去に裏切られたことがあるということが解った。背景は様々だが、大体は対人関係でトラブルがあった人ばかりだ。以前触れた伝道者の彼は、家族にすら自分の事を話せないで居るという。
 きっと、成長過程でそういう扱いを受けると信用できなくなるのだろう。と少し考えたが、よく考えてみると私も人(特にJW相手で)に裏切られたた事なんて結構ある。となると、結局はその人の心持ち次第なのかもしれない。

裏切られた→もう何も信じられない→そうだ、本音話さなければ傷つかない→心を閉ざす

という思考なのだろう。私は逆に

裏切られた→もう裏切られたくない→そうだ、裏切られないようにしよう→裏切られないスキルを身につける

と言う感じで切り抜けてきたように思う。それが今の要領良さに繋がっているのかもしれない。しかし、私のこの性格は別にそんなに珍しい事ではないと思う。どこで、世の人とJW二世とで差が出るんだろう。
 またいつものように完全な主観でものを言うが、きっとJWは性善説のように人はまず信じるものだと教わるので素直に信じてしまうのだろう。成長期に、そういうことを毎日教われば信じて当然と思うかもしれない。そして、いきなり初対面から100%信じて付き合う。ところが、付き合ってみるとトンデモない性格だったりすることがわかる。利用されたりして、傷つくそして人間不信。JWで聖書の教えを100%位体現してる人なんてそうそう居ない。ひょっとすると皆無かもしれない。なのに、信じろと教わってしまうからギャップが。
 一方世の中の人は人間の汚さの様なモノをある程度幼い頃から解っている。部活などでも荒波に揉まれているし、一々そういうことを気にしてられず要領よく切り抜ける術を身につけるのだろう。「人をみたら泥棒と思えなんて」言葉はそういう状況をよく表していると思う。世の人にも鬱の人や悩む人はいるので一般化はできないが、JW二世に人間不信が多いのは恐らく上記の様な理由が多いのではないだろうか。
 だが、何だかんだ言っても、結局こういうものは本人の考え方次第なのだが。どこで、要領良い人とそうでない人の差が生まれるんだろう。そういえば、前に触れた鬱気味で長老とかと言い争っていた姉妹が突然引っ越した。しかもステージで挨拶もせず。転居先の会衆は明らかにされたが、挨拶無しで引っ越す時は結構怪しい時。排斥とは言わないまでも喧嘩引っ越しのようなものなのかもしれない。