デブ≒自制できていない

Arlecchino2004-12-07

 デブと自制できない人*1はイコールでは無いのだろうか?少し前のものみの塔の記事で大酒は行為で見分けが付くから見分けが付きやすいが、デブは体質もあるから、必ずしも貪欲や自己抑制が出来ていないからデブとなる訳ではない。よって、貪欲は簡単には見抜けないという。
 そうだろうか?周りでデブな人を見ていると、病気で動けない人はさておき、普通の体なのにデブになる人はどう考えても自己節制が出来ていない人である。食生活などを聞いてみると好きなモノには目がない、とにかく食欲が落ちない。でも、運動はしていないなどとデブになる要素がいくらでもある。一日一食、酒も飲まない。しかもご飯は幼稚園生位に少ない量しか食べないのに太る人など見たことがない。結局デブになるかならないかは「摂取量>運動量」で決まる。単にそれが出来ていないだけだ。必要ない食事を取らない。それを出来ないのが
 太るかどうかは、自制が出来るか出来ないかで決まる。が、もしものみの塔でそう言い切ってしまうと太っている人が多い、指導的立場のお偉いさんたちが(食生活に関しては)貪欲、自制できていないということになってしまう。それは組織にとっては都合が悪いのだろう。この組織はお偉いさんがしているグレーゾーンには立ち入らない所がある。それなのに、平信徒の行動はミニスカートなり髪型なり小さい所は細かい位に規制をする。ポケモンはいけないなど、地帯監督に大会で扱われたら、規則ではないとはいうものの、実質駄目といわれているのと同じだろう。あれは駄目これは駄目と平信徒には何かと締め付けが厳しい。
 今度の大晦日・正月あたりは、集会の出席率を上げるために輸血カードの話を盛り込むらしい。「JWには正月も大晦日もありません」ということなのだろうが、それは俗世間と隔離されたベテルや巡回・地域監督などのお偉いさんの話。実際は親戚づきあいがあったりして平信徒はその時期に無理矢理集会に出るのは大変なのだ。
 ものみの塔の記事にしても、運営にしても平信徒ばかりに締め付けを強め、お偉いさんたちのなす事には不問。どっかの警察とか官僚組織と一緒だ。神の組織ではなく、神の組織を標榜する組織となってしまっているのではないだろうか。

*1:大食いという意味での。