輸血拒否

Arlecchino2004-12-28

 輸血のお話が、この年末にワザと持ってこられているのはJWの中では有名な話。年末年始の出席率を上げるためなのだ。もっとも最初から休もうとしている人は関係がないんだが。
 輸血拒否カードといえば正式名称の「医療上の宣誓証書」という言葉はあまり使われない悲しい存在。輸血カードなんて呼んでいる人もいたので未信者のご主人なぞは奥さんが入院したとき「おい、輸血してくださいってカード持ってきたぞ」なんて輸血をするカードと勘違いしていた人も。
 さてそんな輸血拒否カード。最近は変化があったようだ。昔までは首からチェーンで吊せと言われていた。手術の時目に見えるところにしておかないと、目にとまらないことがあるということで。実際私も付けていた時期があったが、肌に直で触れているものだから、汗をかいたとき貼り付くし、汚れがひどい。年齢も上がり真面目ども薄れ、だんだん財布の中に入れておけばいいか、ぐらいになった。最近では携行すらしていない。
 そういえば、首から提げることが格好悪いといって、ロケットのようなものに縮小コピーした輸血拒否カードを入れている人がいた。

主に有名なシモベの息子や長老の息子たちだった。格好付けてそんなことをしていたわけだが、私はどうもそこまでして格好付ける気にならなかったのでしていなかった。案の定、暫くしてから本物の証書を携帯していないと意味がないとお叱りが。しょげている姿が思い出される。中途半端な世界で格好つける意味がわからない。
 この前そんな話を会衆の人としていたのだが、今回配られた指示書を見ると「財布に入れたり」と前のように首から提げろという強制がどこにもない。組織も首から提げることが一番良い方法ではないことに気が付いたのだろう。首から提げることを重んじすぎて、パリサイ人の額帯のような存在になっていた。それがまずかったのか財布にいれるか、目立つところにいれればよしということに。さすがに輸血拒否が教義から無くなることはないとは思えないが・・この先何か進展することもあるかもしれないこの問題。