浮世離れ

Arlecchino2005-01-08

 前日の日記で家族について書いたが、全員がJWになっている所謂神権家族という所は全員の基準が統一されているせいか、完全に見方が偏っている。
 私の知り合いに、お父さんが長老でお母さんが開拓者。息子兄弟と娘姉妹の4人家族がいる。兄の方でもまだ高校を出たばかりの19歳だし、妹はようやく高校に入ったばかりの16歳。そんな家だが全員がバプテスマを受けている神権家族。
 この家、何を言ってもエホバのおかげでまとめる癖がある。今日楽しく交われたのもエホバのおかげ。雨が降ってたけど奉仕の前に止んだのもエホバのおかげ、ご飯が美味しく作れたのもエホバのおかげ、と。感謝する気持ちを自分たちで抱くのは良いのだがそれを他人にまで強要してくる。
 たとえば、割り当てとかが上手く果たせたときお礼もそこそこに、「でもやっぱりこうして上手く果たせるのってエホバのおかげですよね。」と片づける。おかげなら、個人の努力なぞいらないではないか。逆にへたくそな人がいると「あの人は練習してないな」的なコメントを言う。なんというか、都合の良いことだけエホバのおかげにする所も気に入らない。
 そんな息子さんも娘さんも全員開拓者。二人とも通信制の高校に通っており、妹などは今在学中から開拓をしている。まるで一寸前のJWのようだ。最近はとんと通信制高校に通うJWなど居なくなったが、まさにその時代の生活を今の時代でも過ごしている。
 この家の浮世離れエピソードはまだある。ある日お父さん兄弟が突然仕事を辞めた。原因は辞めたというかリストラされたのだが、それにかこつけて「これはエホバのお導き」と言い補助開拓奉仕を始めた。物は言いよう。
 他にも特徴があり、家族全員旅がしょっちゅういろいろな所に出かけては知り合いを作ってくる。それで自分の会衆にも招待したり。端から見ているとどうも、友達というか単に知り合いなだけなのだが、数を増やすことに命をかけている感じ。それもこれもエホバの結んでくれた縁ということで片づけている。
 何かにつけてエホバエホバと結びつけているので、ある意味一貫性がある。でもどうも好きになれない。自分たちの考えと違うと真っ向から否定してくるところがあるからだ。私がどこかに旅行に行くとき地元の会衆に交わらないと言っていたら「それはエホバの民としてどうなんでしょう?」的なコメントを言われた。どこかに行っても交わるか交わらないかは個人の自由な気がしないでもないが、それはこの家族には許せないらしい。解らない人たち。
 現在この一家は、相当生活苦に陥っているようだ。お父さんは定職がなく、つなぎのバイトで稼ぎ、お母さんもたまにパートをし、新戦力のお兄さんがバイトをしている。家が親から譲り受けた持ち家だから暮らせているようなもので、そうでなかったら今頃野垂れ死にかもしれない。これもエホバのおかげ?