待ち望んだ日

Arlecchino2005-02-17

 終わりの日が来る。幼少時からそう聞かされて20数年経過した。「平和だ安全だという声が聞こえる、そうしたら終わりの日よ。」母はいつも言っていた。幼かった私は真に受けて、新聞のどこかでも「平和が・・・」と書いてある記事を見つけるとそれを母に報告した。記事を一緒に喜んでくれる母の顔を見るのが好きだったのだ。
 1986年は国連平和年とかで周囲がざわめきだっていた。あの緋色の野獣たる国連が平和と言い出した。これは終わりが近いという発想だったのだろう。当時小学生だった私は、終わりの日というのがイマイチぴんと来ていなかったが、ハルマゲドンの大体の予測は付いていたし戦々恐々としつつもパラダイスに想像を馳せていた。
 いつも引っかかっていたのが大患難というやつだ。救われる前に迫害がありそこで耐えたら千年統治に至るという事だった。迫害と聞くとブルンジルワンダとかナチスドイツの話を思い出したので、殺されかけたり激しい拷問があると思っていた。パラダイスは魅力だったがいつもその前にある迫害という事がものすごく不安だったのを覚えている。とはいえ、こんな性格「その時考えればいいか」と楽観的で、特に不安を募らせることもなく日常生活を送っていた。
 国際平和年から19年経過・・・。世の中は平和になったんだろうか?平和と言い出して居るんだろうか?だーーーーーーーーれもそんなこと言ってないような気がする。むしろ逆で悪い方へ悪い方へ進んでいる。最近ものみの塔の論調に「平和だ安全だ」が聞かれない気がする。どうみても平和とか言い出さない状況だからだろう。最近は9.11以降専ら戦争とか犯罪増加とかそんなのに焦点を当てている。ごまかし方が上手いねぇ。きっと盲従している信者は皆様顔先を変えられている事に気が付かず、あの9.11テロですら終わりの日の一部にしていることだろう。
 世紀末も近かったある地域大会で最後の話を扱った兄弟が「来年も一応大会は予定されていますが、それが実施されるかは解りません。」的な発言をしていた。当時、母などと「終わりが近いってことかもね。」なんて言っていたが・・・もう新世紀入っちゃいましたからー残念。
 JW熱心党のブログを見ると「国際大会から2年経過したし終わりが・・・」「統治体が生きているうちに終わりが・・」等と書かれていた。その期待が落胆に変わったら相当ショックになると思うが。さて、どうなることやら。