スタンスとバランス

Arlecchino2005-04-05

 仕事が始まって三日が経過。詰め込むことが多すぎて、もう一週間経ったかのような錯覚を起こす。恐らく一年後に振り返るとあっという間だと思うのだが、今はまだそれどころではない。
 今日はホントは所属会衆の書籍研究の日だけど行ってない。というかいけなかったのだ。毎日帰ってくるのがかなり遅い。それでは書籍研究どころではない。気を利かせて会社の近くの集会をとか思ったがそんなことをしても、体の疲労が増すだけで何の意味もない。
 正直な話、私は今までの人生で遠回りしていることもあるし、今度の会社は最後の恵まれたチャンスと思っている。だから、ここで自分というモノを確立したいし、自分で独り立ちできる収入を得てみたい。その為にもここで世俗の仕事をおろそかには出来ない。JWは何度でも真面目になれば受け入れてくれるが、世間はそうはいかない。もう若くはないし、新人として扱って貰えるのも今のうち。頑張らねば。
 そう考えると集会と仕事どちらを優先するかは必然的に決まってくる。勿論仕事だろう。仕事無くして生活は支えられないが、集会はなくても生きていける。JW2ではあったけど、もともと神に頼らず生きてきた。真剣に祈るのはせいぜい勝負事の前とか、好きな子が出来たときとか(笑)だった気がする。真面目な頃から相当俗っぽい内容だ。神頼みではないけど、私的にはそんな感じ。人間というモノは、苦難に立たされると超越した力に頼りたくなるものなのだ。だから祈るのであって、神とのコミュニケーションとかそういう思いは無かった。実際、成功するときはしたし、失敗するときはした。当たるも八卦当たらぬも云々というところ。
 脱線してしまったが、私は恐らく今度からは日曜くらいしか集会に行かないだろう。週中はとてもじゃないが、無理そうだからだ。そういう事を実践していた友人曰く

書籍研究みたいな密な集会いかないと、神権学校とか公開講演みたいな大勢の集会にいっても疎外感受けるよ。

とのこと。まあ、たしかにそうかもしれない。それも仕方がないことだ・・それで責められるならそれもそれまで。私は今の状況を捨てることは出来ない。誰がなんと言おうと。
 ここら辺と母親とかとどう折り合わせていくかはかなりの課題だが、一人暮らししているしそういう点では少しは気楽。親子の縁切られても生きていけるスキルを身につけていきたいものだ。