零的二世の恋愛入門

Arlecchino2005-06-12

 知り合いの姉妹が結婚をした。そういえば、前居た会衆の兄弟もこの前結婚したそうだ。結婚のまえには当然恋愛という過程が入る。知り合いのJWで結婚後苦労している人も知っているし幸せそうにしている人も知っている。JWにも恋愛は無関係な話ではない。
 とかくJW二世には恋愛の問題が大きくのしかかる。小学時代中学時代くらいなら周りを見渡してもシングル率も高いし、そんなに気にならないものだが、高校を超えて大学くらいになると周りは恋愛自由で青春を謳歌している。まだ見ぬ世界という感じで、興味津々になる。機関誌の中で如何に恋愛は敵だ!的な教育を受けていても、気になるだろう。
 余談ではあるが、美形なら恋人が居ないとしてもポリシーがあるのかな?とか思われるが、たいして不細工でもない人間がシングルで居ると「もてない」「未経験」と非常に不名誉なレッテルを押される。勿論、全部が全部そうでないとしても、そういう傾向はある。自分と同じくらいのレベルの人でも自由に恋愛を楽しんでいると、羨ましくなる時があった。自分だって、許せばああなるのに、など。JWはそういう思いを害だの毒だのという扱いにする。当の自分たちは思いきり青春を謳歌してきたというのに。勝手な物だ。
 話を戻して、JW二世でも信者同士で恋愛している子も中にはいる。といっても、JW同士なので所謂世でいうところのお付き合いとは少し違う所もある。勿論肉体関係なんてないし、キスはおろか手を繋ぐことだって日本においては厳密には御法度と言う人も居るだろう*1。そんな中じゃ恋愛といってもたいした付き合いが出来るわけではない。メールとか電話でそれなりの意思疎通はできるだろうが、同棲できるわけじゃないし結婚する前では相手の本当の姿なんかは全然見ることが出来ない*2
 そういう状況を外の世界を見なければ何とも思わないのだが、一旦外の世界で楽しい事があると解ると一気に目が覚めてしまう。JW二世の中での幼い恋愛ごっこが途端アホらしく思えてしまって、世の中での本当の恋愛とはどういうものか試したくなる。流行のドラマとか見ていると主人公達が意気揚々と恋愛を楽しんでいる。JW二世は恋愛不自由なクセに、テレビは見てしまうから、自由と規則の狭間で窮屈に思うことも多々あろう。そんな自由な恋愛世界が手に届くところにあると思えると、手を伸ばしてみたくなるのが人間というものだろう。
 私も、そんな一人で色々世の中の恋愛というものに手を出してみた。ナンパなんかしたことなかったので、当然いつも付き合っているコミュニティの中からお付き合いは始まる。いたって普通の恋愛パターン。ここまではJW二世だろうが世人だろうが問題ない。問題はここから先だ。デートがまず問題である。デートで他人の目が気になるなんて、JWくらいじゃなかろうか。今の時代人目を忍んでデートなんてナカナカないシチュエーション。
 私の場合、学校が同じ人とも付き合ったことがあったので学校内で付き合う時、同じ学校のJWに発見されやしまいかとドギマギしていた。でも、今の世の中余程の変人でも無い限りずーっと同性と一緒なんてことも珍しい。異性と歩いていたからって怪しまれることもない。極力恋人っぽい雰囲気を出さないようにして、歩いたり一緒に食事をしたりしていた。何回か同じ会衆のJW学生にも会ったこともあったが、その度に堂々とにこやかに挨拶すると、むこうもさして怪しむこともない。ドギマギしたり、慌てるのが一番良くない。後で「何してたのか?」と尋ねられてももっともらしいことを言えばいい。ゼミ友達でしたとか。
 たまに空気が読めなくて、別に彼女でもなんでもない女友達と歩いているだけなのに、「兄弟こんにちはー」なんて言ってくるJWもいた。あいたたた(ノ∀`)こんなJWばかりだったら面倒くさいことこの上ないが、まあ、JWといってもそこまで偏屈な子ばかりではないので、むしろこういうことは珍しいかも知れない。何だかんだで学校の中でのデートは、会衆のおっさんやおばさんJWが入ってこない分余計な気を遣わないのでのびのびできる。
 問題は外の世界である。学校内は、男女が一緒に歩くこともあろうが、学校外ではやはりJW以外の異性と歩いているところを発見されるとこれは言い訳に困る。そんな中でも零的二世は無い知恵を絞り、見つからないデート方法を考え出したりしてしまう。零的二世はとかく、妙なところに頭を使うので知恵*3が身に付く。長くなったので、外での恋愛術は後日へ送る。

*1:筆者はJW的に考えても、キスまでなら婚前交渉にならないのではないだろうかと考えている。

*2:肉体関係があったって、結婚後にこんなはずじゃなかったなんてことがザラなんだから、お話程度で相手のことは良く解らなくて当然。

*3:JWの見地から見ると悪知恵と言われるのだろうが。そんなのはJW側からだけから見た話。十分生きていく上での知恵である。