仕事とJW

Arlecchino2005-06-24

 仕事をすればするほど、JW時代に培ったものって世間では(直接)大して役に立たない事を実感してしまう。特に、一番こなすことが多かった奉仕なんかにかんしては、営業に似ているから何か役立つか等と思っていたが甘かった。JWの書式は勿論会社では通用しないし、書類の作り方も教えて貰えない。JW時代に色々な書類を見たことがあったが、ポップ体で書類を作っている長老がいたっけ。仕事柄書類など作ったことがなかったのだろう、見にくくて解りにくいアジェンダが挿入されていたのを思い出す。
 最近はとんと、JWの会議なんてもんにも参加したことがないから感覚を忘れてしまったが、若い頃は結構そういうお偉いさん会議に参加していた。思えばあの頃から要領が悪く司会の進め方が遅々としているJWが多かった気がする。会社の会議などを見ていると雲泥の差でなるほどなるほどとうなずくことも屡々。
 元々JWになる前は世の第一線で活躍している人も多かったのに、何故かJWになると使えなくなる人とかも多い。組織の中の安穏とした雰囲気がそうさせてしまうのだろうか。朱に交われば赤くなるとはよくいったものだ。
 とはいえ役に立たないことだらけでもなかった。変人奇人が多かったので、人と人との接触の仕方や、組織の中で上手く世渡りしていく術を習うことが出来た。鬱病者やいがみ合いやある種の村の中の様なトラブルがこんなに多い組織も珍しいだろう。それに比べたら会社の中の人間関係など大したこともない。
 割当というのも、皆の前でのプレゼンと捉えれば力が付くいい機会になった。あれだけ多くの人の前で話すこともないだろう。会社でも100人200人の前で話すことは滅多にない。あの時に、プレゼンの練習と割り切って割当に臨んでいたのが良い経験になった。お陰で最初こそ面食らったが今では打合せも楽しめて行うことが出来る。
 直結して役に立つこと立たないことがあるが、どんな人生でもその歩んだ人生の中で無駄はない気がする。その時その時無駄に思えることでも、発想を変えれば自分に役立てることができるのだ。例えば、ゴミ掃除の仕方一つでもより綺麗に早くを心がければ、他の仕事をしたときにもその思考過程は役立つ。どんな組織にいても100%の満足感はない。常に、その組織の中で自分はどういう風に最善の結果を出すかを考えれば、自ずと力は付く。今どうしてもJWに留まりざるを得ない人も、辞めた人もそういう思考になれば、今までの人生から学ぶべきは学び、残りの人生を有意義に生きていけると思う。綺麗事のようだが腐らず焦らず精一杯最善を尽くして欲しいものだ。