自分勝手

Arlecchino2005-11-02

 JW一世は自分勝手だという意見があった。確かにかなり自分勝手である。自分の信じたことが正しいと思いこんだが最期それを他の人にも押しつけるし、それをしないことは悪とする。こういう意見もあるが、ああいう意見もある、という感じで物事を色々な見地から見れない人が多いように思う。白か黒かはっきりしろという感じだろうか。人間は白黒はっきりしないことが多い、白がかった黒や黒がかった灰色なんて曖昧な事も多いそれだから楽しいのが人生なのだが、どうもJW一世にはこのへんが欠落しているように思える。
 たまに実家に帰ると、親は二言目には集会はどうだ?と尋ねてくる。もっと他に大切なことはないのだろうか?体はどうだ?や食事はできているか?など、もっともっと集会より先に気遣うべき項目があるはずだ。親の愛情を教えているはずの聖書でまず、子の体を気遣うより形式面を聞いてくるというのは、昔のパリサイ人そのものな気がする。恐らく本人に自覚はないだろうが・・・。
 食事を取り健全な休息を取ってはじめて、集会なりといった余暇を利用した事柄を遂行できるのだ。集会を余暇ではなく本業と捉えるべきだという指摘もあるかもしれないが、あんなものは余暇でなければ何なのだろう。まるでノルマもないし、好きな事をそれなりの基準内で発言していれば済んでしまう会。そんなものは仕事でもなくタダの余暇である。
 尤も最近はこの余暇ですら行きたくなくなって行っていない。余暇で集会に行くくらいなら、もっと有効な事に余暇を充てたいからだ。親は自分勝手なのでこれからも好き勝手言ってくるだろう。これからどうしていくのが親にとっても私にとっても幸せな人生なのだろうか。正直な話JWの方の親が消えてくれればいいのになぁとたまに思う。そんな風に考える自分も自分勝手かもしれない。