不意の訪問

Arlecchino2005-11-05

 朝一番の天気が良い気分の良い雰囲気の中、突如来訪者が。集会など殆ど逝ってないし、話もせず帰るので会衆の人の顔など覚えていないのだが多分長老のだれかだろう。土曜日の朝っぱらからネクタイ締めて楽しく無さそうな顔しながら人の家に訪問に来る人はJWくらい。見た感じうだつが上がらなさそうな50代くらいのおじさんだった。
 本来は楽しくないのに、これが楽しいこと素晴らしいことと思いこもうとして奉仕をしているから、歪んだ顔になるんだろう。子供だってそうだ。私もかつて子供だった頃訪問した家の人がアンチJWみたいな人で、親がやり合ってるとき突然「ぼく、こんなことしてて楽しい?」と聞かれたことがあった。不意を突かれたこともあったが、正直楽しくはなかった。でも、親の手前「た、楽しいです。」と言った。家の人も表情を見てそれがウソだと解ったのだろう。「うそ、楽しそうに見えないよ。もっと楽しいことあるのにねぇー。」などと言っていた。全て見抜かれて居たのだが、当時はそれでも楽しく思おうと思いこむ自分が居て、家に帰ってから親に怒られつつ、自分を責めていた。なぜ、あそこで楽しそうにできなかったのだろう。自分は信仰が足りないなど。
 今振り返ると笑ってしまう話だ。ぶっちゃけ楽しくなかったんだから、それが顔に出ても当たり前である。良くあの環境で20年近くも奉仕をしていたものだ。我ながら感心してしまう。地元の友達も大部分が奉仕の僕になったと聞く。完全にあっちの世界とは住む世界が変わっている昨今。それでも彼らのことが気になってしまう。元JWの性だろうか。JWを気にしつつ今の世の中を見渡すこの考え方とも一生のお付き合いになるんだろうか。
 それはさておき、冒頭の長老の訪問は当然無視。出るだけ無駄である。もっと言ってしまえば、来るだけ無駄である出る気がないので。他の人のところへいったほうが良いだろう。