嘘はイケナイことか?

Arlecchino2005-12-22

 重い話題が続いたので、季節柄クリスマスの話題なんぞ。今年は関西に雪が降りホワイトクリスマスになりそうな感じである。ここに来て半年以上経つのかとしみじみ考えた。思えば去年の今頃確かクリスマスが集会だった気がする。しかし、付き合っていた彼女とは二年目だったこともあり、別にクリスマスに敢えて会う理由もなかったので彼女とは過ごさず、ここぞとばかりにアピールに普通に集会に行っていた気がする。
 つきあい始めの年は火曜日の集会がクリスマスの時で、これは集会どころではないと考えて集会をサボってデートをしていたのを思い出した。結局何だかんだでその頃から、真面目な振りをしながら適当なJWをしていた気がする。
 子供の頃嘘を付くのはいけないことだと教わった。嘘を付くたびにばれて怒られたものだ。しかし、最近思うのは嘘は悪いことではないと言うこと。周りを傷つけない為に、平和を保つために付かなければいけない嘘もある。ただ、この嘘少し間違えばとんでもない事となる。ペテン師になっては意味が無いが、周りの空気を読み察知し、事を荒立てない為の嘘はありだと思う。
 嘘は時に自分を救う。馬鹿正直に答えていれば罰せられたりしたものが嘘をつくことで、何も怒らずむしろ良い方向に進むこともある。よく、大人は

嘘を付いても無駄だ。嘘は必ずばれる!絶対嘘を付くな!

と言う。しかし、正直数十年生きてきて思うのはばれない嘘もあるということだ。バレる嘘は付くべきではないが、ばれない嘘は付いてもいい。なぜならばれなければ聞いた人の中では嘘も真実として認識されるからだ。その事実があったかどうかはさておいて、結局人から話などで聞いたなら嘘でも真実でも最終的には聞いた人が納得するかしないかの問題である。聞いた話が真実かどうかはどうでもいい。嘘と真実の差なんてそんなものなのだ。
 私から言わせると、嘘は付くなではなく

嘘を付くなら徹底的につけ!嘘は付き通せば真実になる

というのが嘘の格言である。どんな嘘でもそうだが、つじつまが合い、合理的な話になっていると絶対人は信じる。そうなるともはや嘘は嘘でなくなり真実へと転化する。道義的にそれがいいかどうかはこの際置いておく。大事なことは嘘はしっかり筋道を通して理路整然とした作りになっていると誰も嘘だと思わないということだ。
 世の中を見ていると、嘘が付けないために苦労している人を多々見かける。嘘を付けば楽なのにと思う。嘘というから、聞こえが悪い。機転が利く、頭の回転が速いということが嘘に置き換えられると思う。得意先で不利な事を突かれて「うっ」という顔をしたら、それこそ上手くいくものも上手くいかなくなる。しかしそこで機転を利かせて笑顔で答えれば相手の反応も変わるかも知れない。
 クリスマスの話題から始まりなにやら取り留めない話になっているが、何が言いたいかと言うと。「嘘も大事だよ」ということだ。JWにならされている人はとかく嘘に反応するが、嘘を付くことも大事なのだ。聖書だけが世の中の全てではない。