家庭のジジョウ

Arlecchino2005-12-29

 年の瀬のこの時期に、一個厳しい事を言ってしまおうと思う。それは「家庭の事情」という事に対しての物言い。JWや元JWにはとかく家庭の事情家庭の事情と言う人間が多い。そして二言目には家庭の事情で進学できなかったと言う。その家庭の事情というのは主に金銭面だ。収入が無いという事もあるが、病気の親が居て、その治療代があってお金が少ないというのも当てはまる。しかしそれらも全部一言で言えば金銭面の家庭の事情だろう。
 本当にそうなんだろうか?本当に「家庭の事情」で進学できなかったのだろうか。それらの家庭の事情を盾にして進学できなかったという人には何度、いや何十度と出会っている。JW、元JWを問わずでだ。
 それらの人の話を聞いていて思うのは絶対的に努力が足りていないということであって、家庭の事情などではない。そう、確かに家庭が貧しいかったかもしれないし、色々と苦労をしていたかもしれない。それは悲劇であり、塾に行き放題にさせてもらって、良い学校に通わせてもらっている子と比較してしまったら、少しのハンディにはなっている。だが、自分の力でどうにもならないと言うまでのモノではないのが殆どだった。
 借金地獄で家を追われ、毎日毎日住む場所が移動してまともな教育も受けれず小学校の時に両親が亡くなりその後親戚の家に預けられたがそこで壮絶なイジメをうけ、中学校を出たら直ぐに働かされて・・・・とかだったら同情の余地もあるのだが、進学できなかったと言う輩の大半はどこをどう切ってもまともな中産階級のモデルのような家庭が多い。少しだけ、収入が少なそうな家もあったが絶対大学に行けない様な貧困層ではなかった。
 大体今の世の中は、努力すれば絶対に進学できる仕組みになっている。国公立私立を問わず奨学金(返済義務あり)だって充実しているから、勉強は自力でして後の入学資金など全ては奨学金で賄って、入学することは可能。事実大学には、そういう奨学金制度を利用している子が沢山いた。3割位は何らかの形で利用していたように思う。バイトをしながら生活資金を稼ぎ学んでいる人も一杯居た。特別な要件が必要かと思い受給要件を調べたが、それほど特殊な要件は必要ない。だれでも受給できる。
 だから、金銭的事情を大学進学を断念したことの言い訳に使うことは間違っている。本人が努力さえすれば大学の進学などは全然可能なのだ。もし塾に行かせて貰えないと嘆くならば、高校でバイトして塾へ通えば良い。高校生でも月謝くらいは稼げる。それなのに、バイトをして自分の好きなモノを買って学校の授業を適当に受けてそれでお金が無いから大学に行けない等と言う輩が多すぎる。
 今、大人になったから多種多様な方法で大学に通う方法が解ってそういえるんだ、高校生くらいには解らない!という指摘を受けるかもしれない。でもそれだけでないとおもう。学校の先生に真面目に進学の相談をすればこういう手段があることは絶対に教えてくれるハズだ。今の時代はネットも普及してるし探す気になれば絶対に見つかる。それを模索もせず簡単に家庭の事情と言う。
 はっきりとこう言うべきだ。

私は勉強できる環境もあったし、それなりに恵まれていたのだけど、それをする意志や努力が足りませんでした。勉強が嫌いです。だから、アルバイトとかしても貴金属や漫画買ったりして何一つ勉強に役立つモノを買わないでぱっぱらぱーになりました。また、大学に進学するための手段を発見する事もしませんでした。
 大人になって社会に出て、大卒が多いことにビックリしました。自分よりアホそうな子までも大卒だったりしてビックリしました。でも、行けなかった責任の所在を自分がアホだったからという事ではなく他に押しつけたいので、家庭の事情と言っています。

という感じだろう。
 何故唐突にこんな話を始めたかというと、最近、昔のJW仲間から突然メールが来て今どうしている?という話をされ「大学に行き働いている」話をしたとき、「オレは家庭の事情で行けなかった・・」と言う話をしてきたので、少し憤りを覚えて筆を取ってしまった。
 長々書いたが、結論を言うと・・・私から言わせれば、家庭の事情でイケナイ人はまず居ない。アホだからいけないだけ。以上。