年末の辞

Arlecchino2005-12-31

 集会に行かなくなって気が付くことがある。体の負担が大幅に軽減されるのだ。よく考えてみたら、仕事が終わってから集会に行くというのはもの凄い負担である。単なるカルチャースクールどころではない。しかも楽しんでいくならばともかく、辛い思いをしていくとなるとその辛さは格別な物がある。
 仕事に復帰して考えたのだが、やはりまともな仕事は中途半端な気持ちで出来る物ではない。仕事に全身全霊をかけて集中しないと大きなミスを起こしかねない。しかも、仕事していないときも仕事の事を考えないといけない。どこぞの能なし開拓者がしているような肉体労働とは訳が違う。その時間だけ集中していればいいというものではない。
 また、クライアント見合いで仕事が左右されるので自分の会社の業務が終わったから帰るということも出来ない。それをわかりもしないで、集会のために帰ってこない人間を単純に責める。あの姿に同意も出来ない。
 この前、姉と連絡を取って自分の今の気持ちを告げたところ「離れないでくれ」という趣旨のメールを受け取った。何通も何通も。せめて集会くらいは来てくれとか、また復帰することを想定してる内容だった。しかし、一回離れてしまい中途半端にJWに顔が割れるような感じでちょいちょい集会に行くことはかなり無意味且つリスキーである。
 集会にたまにでも顔を出すと一応はJWとして見られてしまうので、当然世の女性などとの付き合いは難しくなる。では、集会にたまにいけば会衆内の女性と付き合いができるだろうか?それはかなり難しい。そんな離れかけ兄弟に声を掛ける奇特で珍しい人間は居ないだろう。
 そうなると一番悲劇を被るのは適当に集会にいく本人だけだ。周りは適当に集会に来い来いと言えるが、結局たまにしかいかないとJWとしての生命も終わりに近くなりどっちつかずのコウモリのような存在となる。そして、結局誰からも相手にされず孤独な人生を送る。
 そんな人生は断じて嫌だ。変な義理立てをしてJWに下手に関わっていると、それはそれで不幸になってしまう。自分の幸せは自分で掴まないといけない。姉には申し訳無いが、中途半端なJWとして生き恥をさらす位なら、潔く集会に行かずJWから撤退したい。と言う言葉を持って、今年最期の日記としたい。
 来年がこのブログを見ている皆様にとって良い人生となりますように。心から願っています。今年もJW二世零的logをご覧頂ありがとうございました。来年も宜しくお願いします。