互いの宗教の基本姿勢

Arlecchino2006-01-07

 彼女とたまに宗教の話をする。互いの宗教の話を聞いてると真っ向から話が対立する。どうも、JWという宗教は俗世から一別を画しているのと、究極目標は永遠の命や楽園でナチュラルに暮らすという所にあるので、この世の中で生活していながら隠遁生活している感がある。
 一方彼女の宗教は、心のよりどころに宗教を使いつつもこの世の中での成功を目標としている。それもかなり執着してもいいようで、億万長者になりたいからお祈りして頑張るなんて感じでJWの質実剛健的な行き方とはちょっと違う。
 私も、偏見で物を見るつもりはまるでないし、この世の中での成功は大事だと思うのだが年収何千万が目標で、○○が欲しくて・・なんて具体的な物質目標を出されると少し閉口してしまう。お互いが所属していた宗教が違うと物質や富への執着が根本の部分でまるで違うのだ。JWではそういうものを追い求めず質素にがモットーだった。
 私も、それなりに贅沢もしたいし活きていく上でお金も稼いでいかなければと考えているのでJWの中では頑張って居る方だったが、お金お金と目の色を変えていく方ではない。彼女によると、その宗教は御利益があるらしい。その為に今でも神?に祈っている。
 ついつい、彼女を見るとその信心っぷりが熱心なので如何にも新興宗教のカルトっぽいなぁ。なんて考えてしまうが、JWも熱心になればなるほど周りからはそう見られていたのだと思うと彼女の姿を見て差別する気にならなくなってしまう。宗教が違うだけで、やっていたことは自分と変わらない。しかも彼女は熱心だ。これからこういう所での相違が目立って行きそうなのが少し心配ではあるが、出来る限り理解を示して上手く付き合っていきたいと思う。
 とにかく私は、どうしても金を追い求めるより、それなりの生活をしつつその中で歓びを見いだす方が好きである。それが自分にもあっている。武士は食わねど高楊枝なんて、まさに好きな生き方。まぁ、でも遁世したいとは思わないので彼女の宗教はともかく彼女の生き方も少し参考にしてみるつもりである。何事も学姿勢。