ある失敗例

Arlecchino2006-06-28

 最近、社会の中で仕事の重要性について書くことが多いが、開拓をしていて如何に悲惨になった人が居たかを一例で書こうかと思う。よく、ものみの塔とかでは成功した事例は書くが失敗した例は書かない。それはオカシイだろう。失敗した例も書かなくては。協会がしないならば、草の根運動でこちらでする。
 私がいいたいのは若さにかまけて開拓者を選択したことの失敗談である。若いうちしか出来ないのは、仕事も同じで開拓だけの話ではない。開拓をしろしろと奨励するが、組織は結果にたいしては責任を持たない。思えば昔から時代を先取りしていて自己責任を強調していた組織だったのかもしれない。 
 ある一人の姉妹の悲惨な人生。その姉妹は、私の知り合いの姉妹で、高卒後に開拓をして26才くらいまでずーっと開拓をしていたが、結局パートナーと揉めて開拓も辞めて半ば精神病になった形で休養した。
 地元に戻って、半分バイトをしながらリハビリして、今度はまともに働こうと思ったようだが、実際就職活動していると職歴が無いことを指摘されて就職差別を受け、就職すら出来ない現実を目の当たりにする。しかも、おそらく理由は話していないのだろう。それはそうだ、宗教してましたなんて言って大歓迎受けるわけがない。となると、もっともらしい理由も付けられず、タダの怠けていた期間と見なされてしまう。
 その後その姉妹は、司法試験を受けると言って大学に通い始めた。もっともらしい理由なのだが、結局これも就職が出来ないための逃避行動である。結局司法試験に受かる人間など、相当勉強が出来る人の中でも選ばれた存在である。大学もストレートに行けない頭で受かる簡単な試験ではない。
 案の定、彼女は二年連続で試験には落ちまくり、公務員試験にも落ち、民間は受け入れてくれるはずもなくまた大学四年で就職という壁に当たった。社会が職歴ない自分を雇ってくれないとおそれて、以降就職活動は全くせず、内部進学で大学院に進学しモラトリアムを延長しているらしい。院生を修了する頃には立派な社会不適合なニート予備軍の誕生である。文系の、しかも年増の院生などどこがほしがるか。きっと卒業後は院卒という下手なプライドばかりがある駄目人間になること請け合いだ。
 結局これが実態なのだ、開拓者をしていた人は幾ら大学を出ても、歳がいって職歴が無いという時点で何もいい人に見られない。それを補うためには、一発逆転で、司法試験などの難関資格しかないが、それも開拓者に逃げた人に受かるほど楽な試験ではない。
 こうして見ると、若いときから開拓者というのはかなりリスキーな事と言える。まあ、一生貧困と隣り合わせの生活をして、社会的に全く安定していない環境で生活することを苦としないならば開拓者もいいかもしれなのだが。「救出の日は近い」と言いながらもう30年近く経つ・・。少なくとも私が生きているうちは「救出の日」は遠そうだ。