昔からの疑問

Arlecchino2006-08-11

 子供の頃考えていた。神って誰なんだろう。神って最初が無くて終わりがないっていうけどどういう意味なんだろう。神が完璧なのにわざわざ補助者を作ったのか。神は完璧なのになぜシナリオを間違えたのか、と。それを明快に科学的に説明してくれる人は居なかった誰一人として。子供の頃そういう疑問を抱き身近な教えてである親にぶつけた。親は一通り教えてくれるが、ある一定以上は

人間の見地を超えている

という一言で済ませて、正確にそのことについて議論することはなかった。
 神というのはその宗教で言えば、現人神で無い限りは、最高責任者だろう。会社で言えば社長かCEOに相当する人だと思う。そんな人間のプロフィールが明らかにされないのに付いてこいと言われても困る。会社と違って一生モノならばなおさらだ。
 エホバの証人の場合は、エホバ個人の経歴的な面や客観面が明かされず、ひたすら性格ばかりが強調されていた。しかも、その性格もかなり曲解されて強調されていたように思う。愛がある愛があるとやたら言われていたが、怒って地面を割れさせ人を殺す神のどこが愛なんだろうか。
 こういうときっと大反論が来るのだろうが、私が神だったら人を殺さないで救う方法を考える。それがまっとうな愛だと思うから。どうしても殺すしかないならば、そもそも殺すことが悪という道徳観念自体を変えてしまう。殺すこともやむを得ないのだ、殺すことも正しいのだ、と生来的に人間が考えるような思考で創造してしまう。
 JWが、生来的に良心は備わっているそれは神が作ったのだというならば、殺すことを正当化する良心が備わっていてもおかしくないが、今世の中を見渡しても、いかなる理由があっても殺すことを奨励する人間は居ないように思う。
 大体、旧約聖書新約聖書で性格が違いすぎるのだ。あれだけ表に出てくることが当たり前だった神が新約ではひっそりとしてしまい出てこなくなっているし、性格も温厚。目をつぶす位のことはするが、地面を割って人殺したり、硫黄の雨降らせて生きたまま丸焼きにする時代に比べたら可愛いもの。
 なぜ、性格が変わったのか?と言う点についての研究はいっさいなされることが無く押しつけの、神は素晴らしい神のこういうところがいいねー。などと、大本営からの発表よろしく統治体というどこから認定されたか解らない神公認団体による教義が授けられている。意味がわからない。
 私は聖書そのものを嫌いではない。ダヴィンチコードも見たし、ああいう形のロマンがあるならば良いなとは思う。考古学的な見地での研究はしてみたいし、キリスト教の精神は嫌いではない。そういうことの為なら勉強もしてみたい。だがJWはそんなことはできない。だから辞めたいそれだけ。まやかしではなく、カルト的でなく科学的に学問的に学べるそんな組織だったらよかったのに。
 最終的にこの組織に限ったことではないけど、信じているか信じていないかそれだけが問題。よく、結婚詐欺師にひっかかる人が居て、その人はなぜ嘘クサいプロフィールにだまされたのかと思うが、それはそこを見ているのではなく、その詐欺師を信じたから矛盾に目をつぶったのだろう。本当に好きならば統治体が作り上げた神の存在の矛盾にも目を瞑る。だが、私は信じていないのだから・・矛盾に目を瞑れない。結局はそれだけのことなのかもしれない。