神とは

Arlecchino2006-08-18

 神が居ないとは思わない。きっと居ると思う。この数十年で奇跡を目にしたことはないし、超自然現象に遭遇したことがあったわけでもない。しかし、この世の中が偶然に出来たとも思えない。科学の言う進化論などもってのほかだ。
 しかし、エホバの証人が言う神が本当の神の姿とは思えない。大体限定的にモノを言い過ぎるのが問題だ。今の世の中小泉純一郎氏を取ってみても、人によって評価が分かれる。
 靖国参拝をとって、他国に媚びない姿勢が素晴らしいと思える人も要れば、他国に喧嘩を売っているわがままな行為だなど。世論が半分に別れてしまう。
 生きて、毎日目の前にしている人ですらこうだ。神のように、目に映ったこともなく客観的証拠でしか判別がつかない存在などなおさらそうだろう。
 だから信仰が必要になるんだ、というがそうなのだろうか。信仰という言葉の麻薬を打っているだけなのではないだろうか。結婚詐欺師に引っかかる人も、周りが如何にその男の悪さを忠告しても聞く耳を持たないことと似ているかもしれない。
 思うに、宗教は個々人が持つ生活指針をも体現していると思う。JWでは一般的に儲けるより清貧の方が徳とされる。他方他の宗教では、儲けこそ命であり、儲けたらその分また寄付をしてドンドン儲けてくれということになっている。そして、その人達も世の中で成功している。JWもそれなりに成功している。
 いったいどっちが正しいのか・・・母親からずっと教わってきたエホバは全ての神であり、世の中の頂点の存在だと教わってきた。いわゆる他宗教の神々はサタンが作り出したものであって、エホバこそが唯一絶対神だと。
 他方、私の彼女のお母さんなどは自分の宗教の教えが全てを包含しておりエホバもその中に含まれていると豪語する。そんな姿を見ていると、どっちもどっちに思える。
 こうなると神というものが何なのか全く解らなくなる。結局は信じる人次第ということになるのだろうが、私からすると腹をくくる覚悟の問題だ。母親と和解するならばJWへの信仰を形だけでも装うことになる。
 JW的な信仰はとうにない・・・宗教は信じない。もっと、自然な感じで神を感じたい。JWもそうだが、他の宗教も宗教宗教しすぎて嫌いだ。
 朝太陽が昇り、それをみて自然の力を感じ、感謝をする。昼野外に出て汗を掻きしたたり落ちる汗を拭き取りながら生を感じる、夜の帳が下りてからは満点の星空を見上げては夜空の宝石に酔う。そんな時受ける「ぐっ」と来る印象、それがどこかにいる創造者への尊敬の念なのかもしれない。
 それで十分ではないか・・それを一々野外に出て奉仕という名の偽善活動を行い、集会という名の下に無駄に集まっては緩慢な話をする。全てが儀式的で嫌になる。
 なぜもっと、こう、自然的に神を感じ取らせて貰えないのだろう・・・どうも性にあわない。