根底で繋がるもの

Arlecchino2006-09-06

 母から大量に色々なJW書物が届く。中はまるで目を通さないが取りあえず、タンスの奥底にしまっておく。王国宣教も大量にあるのだが・・これはどうやって入手したのだろう?これって、雑誌と違って○冊下さいと言って貰えるモノではない気がする。地元で長老とかに話して貰っているのだろうか。だが、そんなことは極力気にしない事にしている。気にし始めたらきりがないからだ。
 最近音楽番組とかで、懐かしの歌みたいな感じで199×年とかのヒット曲とかの特集を組むときがある。音楽というのは不思議なもので、思い出とリンクしていることが多い。それ故に、どうしてもJW時代のことを思い出してしまう。私は昔は邦楽が好きで良く聞いていたからだ。
 どこかに行こうかといえば、自分でそういう音楽を車内にかけながらJWの友人達と出かけたものだ。皆で口ずさんだりしてそれはそれは楽しく、そして、ピュアな交流だった気がする。可愛いものだJWの交流は。
 音楽が納めてあるCDはアルバムと言うが、本当に思い出が鮮明に思い出される所など、写真のアルバムと近しいモノがある。ほんとに頭の中にあるアルバムなのかもしれない。そんなことをしみじみ思い出してしまった。
 私の場合、そう言う昔を思い出して悲しくしんみりすることはない、思い出して懐かしい気持ちにはなるが、それは思い出として。だからJWに戻ろうとかそう言う気持ちにはならない。そう言う友情は良いものだったが戻るほどの牽引力はない。なぜなら、今でもそれに似た友情は育んでいるからだ。確かに奥底で繋がる何か奇妙な絆はあったが、あれは宗教独特のものだろう。
 宗教は根底で思想統制がはかられている。だから、妙な一体感を持つのだと思う。普通の社会では友人などはいるが、根底の思想は共通化しようとは思わない。それはその人の個であるからだ。故に、思想の不一致があるので、なんとなく奥底で繋がっている感覚が薄いのだろう。
 JWは根底ではエホバを崇拝するということで、そのエホバの代理組織という統治体からの教えを守っている。それが、妙な繋がっている感覚の本体だろう。家族とは如何に喧嘩しても、なんとなく安心感があるのと同じだ。血という、他の何者にも代え難いもので繋がっていることと同じことかもしれない。
 歌で思い出したが・・JWの賛美の歌の中に結婚式の入場テーマに似ている曲が合った気がする。子供の頃似ているなーと思っていつつもスルーしていた。今となっては何番か思い出せないが。オチは特になし。