リアルな勇者

Arlecchino2006-09-14

 「JW男子は頼りがいがない」という話があった。自分も元・・?JW男子として少し書いてみようかと思う。頼りないか頼りがいがあるかという話でいば頼りがいが無いかもしれない。最終的に神に頼るというのもあるんだろうけど、それ以外にも基本逃げ腰で責任を取ろうとしない姿勢もあるのではないだろうか。ミスをしても罪のせいにできてしまう。
 また、責任がある仕事を任せて貰えないので成長できないというのも理由にありそうだ。何しろ普通の男子は大学や高校を出たら嫌が上でも仕事を始めるので、責任感が出てくるのだが、JWはいつまで経っても全時間で仕事をせず、いつまでもフリーター。よく、マクドナルドの店長にバイトでなったことを誇るJWが居るがバイトは所詮バイト。正社員の重圧はバイトには解らないものがある。そんな厳しい責任感を課せられていない人間が頼りがいがあるわけがない。
 大体この組織に居たとき感じたことだが、自分の場合会衆の仕事をしている中でミスらしいミスが一回も無かったことだ。仕事は誰でもできるような単純作業だし、仕事の中身も厚みがなかった。これではミスを起こしようがない・・・のだが、そんな程度の仕事でもテンパっている兄弟が多かったこと多かったこと。
 その多くは、世の職場で重責を担ったことがないような、40歳でマネジメント経験が無い平社員のうだつが上がらないおじさん兄弟か、JW二世で仕事らしい仕事に就いたことがない若手の兄弟。どっちもどっちな方々。そんなイッパイイッパイな方々が、会衆内の誰でも出来る仕事をするだけで褒められてしまう。駄目な人間が更に駄目になっていく。
 そして、仕事ってこんな感じで良いんだという訳のわからない誤解も生まれていく。誤解も良いところ。会衆の仕事はその品質も精査されないし、その達成度も測られることはない。故に無責任な仕事の仕方が目立つのだ。大体評価する側に無知な人間が多いのも事実。
 しかも最初私が肉体労働をしているときを振り返ると、時間が自由に使えるので、会衆の仕事は手伝っていたが、確かに大した事をしてなかった。だけど賞賛は浴びていたので勘違いしていることが多かった。実際、今のように普通の会社に居ると自分が甘かった音を思い知る。
 数字を課せられるという事を体験したことがあるのだろうか。これは仕事ではなく奉仕という位置づけのJWには無い概念なのだろうが、開拓者は本来その道のプロフェッショナルなはず。本来はその成果で個々人の力量が図られるべきなのだが、この組織はあくまでもプロセス評価。結果は駄目駄目でも、プロセスに時間がそれなりに費やされてれば評価される。
 再訪問(アポ)が取れなくてもOK。雑誌配布(売上)が少なくてもOK。聖書研究(契約)が取り決められなくてもOK。赤字垂れ流しの無駄な奉仕時間(営業時間)が費やされただけで褒められる。こんな楽な営業も無いだろう。奉仕と仕事なので一概に比べられないが、もっとプロフェッショナルな奉仕をする人間が居ない限りJW男子はいつまでたっても頼りがいがない駄目駄目人間量産の温床となるだろう。
 言ってみればJW男子は組織公認のひきこもりと大差ないだろう。世の中に接してはいるが、JWというバ−チャルな世界にいる。ゲームの中で高得点を挙げてゲームの中で勇者になっていても、外の世界からはただのニートとしか見なされない。ゲームの中で英雄になったから外の世界でも英雄なワケがない。そんな引き籠もりと酷似している。結局それが頼りがないということの元凶な気がする。