あるある

Arlecchino2006-09-23

 あるある探検隊ではないけど、あるある、ってネタがよくJW内にはあると思う。例えば交わりの時に必ずと言っていいほど出てくる

好きな聖句は何ですか

あるある。どーーーーしょうもない質問ではあるが、JWの中であれば取りあえず相手のことを知る上での一つの指標に出来る手段だし、会話を埋めることが出来る便利な方法。結構トーク力がない人間ほどこれを多用する。
 心底のJWであれば良いのだが、私のようになんちゃってだった人間からすると、結構この質問をされると困る。つーか、こんな質問すんなよっ!と内心キレそうになったことが多々あった。だって、聖句などに感動したことは一度もないし覚えてる聖句がまるでないのだ。無知がばれてしまう。
 個人的事情はさておいても、この質問頻繁にされる割には、している側や聞いている人間の薄さが見えて嫌な光景だった。例えばここで、通な姉妹とかでも暗唱できないよな難しい聖句が好きと言うと、皆関心する。その聖句が好きな理由がもっともだったりするともう「満へぇ」状態。逆にオーソドックスでベタな聖句だと、ふーん程度で終わってあまり話がふくらまなくなる。
 この態度が全てを表していると思うが、どう考えても趣旨に照らせば好きな聖句なんだから、どこが好きだろうが、全部の聖句が有用なのだから神の言葉なのだから、どこが出てきたって感心してなるほどと言わなければ行けないはず。なのに、それがない。それがないということは、聖句が好きなのではなく、霊的ぶりたいだけというのが解る。
 なら、試しに好きな聖句を創世記1:1と言ってみればいいのだ。そこで、聞いてる人がどんな反応を示すか。そこで本当に感動するJWなどまず居るまい。内心で「あ、この人聖句知らないからこういう聖句挙げたんだな」と思うはずだ。それ以外のことなんか思わないだろう。
 また、アブラハムが息子を殺そうとしたころとか、カナン人を虐殺したところとか、オナンの聖句のところとかを出せば良いのだ。果たしてどんな反応をするのだろうか。恐らくそんな聖句出したら変人扱いされて二度とその会衆での地位はなくなるだろうが・・・。それでも、本来の趣旨からすると、その聖句だって聖句なんだから、好きになってもおかしくない部分なのだ。そこをもし変と思うなら、それはあくまでも形式的な所に囚われていることになる。
 結局の所好きな聖句公開質問会なんて適当なものだ。好きな聖句なんて有ろうが無かろうがその人の素晴らしさは変わらない。その人個人を聖句で図ってはいけないし、聖句を自己PRに使いのも如何かと思う。
 まぁ、その前にお前も聖句の一つでも覚えろという自己つっこみな話もあるが。。