身分や物質の功罪

Arlecchino2006-09-29

 JWは貧富貴賤の別なく取り扱われるということが標榜されているので、本来は身分や肩書きによって人の意見などが左右されることはない。しかし、所詮人間。結局肩書きでものを言い身分という色眼鏡で人を見てしまう。
 私自身元々が高卒だったこともあって、かなりの差別的取り扱いを受けてきた。JWの中でも何かを発言しても、周りが傾聴してくれる重みがないということが解った。それは自分が大学に行ってからコロっと変わってしまったのでそこでJWの浅さを知った。
 大学とかの学歴に限らずだが、何故かJWは富を追い求めないと言いながらも、経歴とかでハーバードとか東大とかそんな文字を聞くと色めき出す。それとか、良い車に乗って王国会館に乗り付けるとどよめきがおきる。
 以前居た会衆で、オペルに乗ってきた兄弟が居たのだが、早速皆が群がったりオペルのすごさについて周りで語り出して、騒然となったことがあった。多分ミラで乗り付けてもそんな話題は起きないだろう。結局JWは物質欲と無縁という教義の割に構成員は物欲が強い。けっして、物欲が悪い訳じゃない。人間の本能だから悪くないのだが、悪いのはそれを、悪と決めつけるJWの教義だろう。
 肩書きで思い出したが、ある会衆に教育ママのような姉妹がいた。子供達も優秀で勉強をしてないのに勉強が出来る天才肌の典型だった。しかし、天才というのは小中学校位までしか持続しない。小学校だと町内の天才、中学校だと地区の天才が集まる。だが、高校からは県内の天才が集う。そこからが正念場になる。天才肌の人間とはそこを勝ち抜き大学、社会と成功する人間を言う。
 大概の人間は高校で馬脚が現れて、凡人だと気が付く。その姉妹の子供は高校でもそこそこの成績を勉強しないで取っていたようだが、結局大学受験に失敗して、二浪しても受からず結局専門学校へ進んでいた。その子も凡人だったようだ。
 それまでは、自分の子供の成績を自慢したり、自分の子供の学校を自慢していたのだが、自分の子供が道を外してからは何も言わなくなってきた。それどころか高学歴な人たちを批判する母親になっていた。会衆内の兄弟や姉妹が進学して、ミッション系の有名大学に進むと信仰としておかしいなどと言い出して文句を言っていた。自分の息子が進学したら自慢こそすれ、批判は受け入れないだろう。立場が変わると人はいい方も変わる。
 なんだかんだいって、この世の中で生きている以上は如何に崇高な事を言ってもそれは詭弁でしかなく、人々は権威など目に見えるものにすがる。ブランドが好きなのも世の人に限った話ではなく人間が本質的に好きなもの。それを悪としているから、おかしな話になってくる。見かけは嫌いといいながら内心は好き。だからこそ、高級車や高い服を着ているJWを見ると色めきだつ。
 私は物質が好きなことを悪とは思わない。それがあるから人ががんばれるわけだしそれを目指して人は努力をするのだと思う。肩書きも自信を持つのに役立つ。確かに、物質や富、地位だけを追いかけるとそれはそれで問題になるのだが、それらを全否定していては、自尊心も芽生えずギクシャクしたおかしな人間になってしまうだろう。身分と物質の功罪である。きっと、一言で言ってしまえばバランスなのだろうが、バランスを保つのが難しい。