名誉か金か

Arlecchino2006-11-01

 メールで、お問い合わせを頂いた。現役の方で迷っているというはなしだった。それに関する考えはブログで書くことに同意してくださったので、ブログでかこうとおもう。
 世の中の事は大半「名誉か金」で割り切れる構図になっている。この二つのどちらかがないと、人は満足できずに失望感を抱く。このどちらかがあれば人はどんな絶望的状況でも堪えて耐えることが出来るんだ。過去生きてきた中でそれは感じた。
 今私は仕事をしている。率直に言えば世間的に大成功とは言い難いが私なりに満足はしている。そんな感じだ。電通三井物産など、上を見ればキリがない。年俸1000万超えというのも今の職場ではかなり先の話になる。
 しかし、それでも満足をしている。原因は職場での”認め”だ。元々の性格と才能が幸いして、最近職場の中で偉い人たちから認められてきた。「こいつは面白い」・・そう思われてきているようだ。決して自分は非凡であったり天賦の才などがある人間ではない。偏差値だけみれば凡庸・・いや、並以下かもしれない。
 しかし、その偏差値的才能以外の面で、自分を魅せる術は知っている人間だ。だから仕事の中でも数字にはめっぽう弱いけど、その弱いところを悟られないように振る舞っている。知らないこととかがあっても、知ってる風に振る舞える術がある。また、人に頭が良いと思わせる術も心得ている。だからこそ、自分が今の職場で正直学力テストだけしたら勝てない相手にも勝ってきているのだ。
 そんな職場の中で自分が認められていることはやはり嬉しい。金は、世間並みしか貰っていないが、それでも嬉しい。他の会社に移ろうか等と色々考えた時期もあったが、結局今あるコミュニティの中でそれなりに優越的地位を占めていることは一人間として見た場合かなり望ましいシチュエーションになる。金をもっと得て、名誉を手に入れるには、もっと勉強して必死に頑張って努力せねばならない。しかし、今の職場ならそれが容易だ。それを活かさない手はない。私の場合の満足は、名誉か。
 JW二世もこの思考でJWに留まっている場合が多い。名誉。今自分に置かれた立場の中での名誉だ。世の中に目を向ければ名誉は上を見たらキリがないのは解る。しかし、人間は今置かれている状況の中での名誉に弱いのだ。
 この間私の職場でこんなことがあった、決して業績が良くない部の中で、年度後半に向けての宴会があった。その中で、頑張っている人を表彰する制度があった。当然、業績が悪いから金は出せない。しかし、表彰と言う形で報いる事はできる。その報いは金にならないから、はたから見たら何の意味があるかと思うが、実際表彰された人たちは後日から目の色を変えて仕事を頑張っていた。金がな故の苦肉の策だが、たかだか部という単位のなかでも、人は金がなければ褒められることが嬉しいのだ。
 この事例からも解るとおり、どんな世界でも金か名誉は大事になる。JW二世も、生まれもって用意された世界の中では重んじられるシモベや長老、開拓者。そんな名誉を受けることで、周りから褒められて喜びを味わう。どんなキツい仕事をしていても、その仕事に喜びがあるか、或いは周りから認められるか、或いは金が多いか、それで人の仕事への取組は変わる*1
 若い兄弟とかが、「偉いわねー」とか、「さすが兄弟」とか言われて嬉しくてJWを続けるのも解ることだ。私自身その名誉がったから現役として頑張れた。それをいるか居ないか解らないエホバに感じていれば、周りの人間に左右されることなく一生JWになれるんだろうが、そんな人間は希有だ。それこそ達人レベルの域だろう。
 結局は、周りの人間に左右される。周りが、褒めそやせばいい気になるが、周りから蔑まされたら信仰があるとされている人間でも、なかなか持ちこたえるのは難しいだろう。結局、あの組織は褒めそやして、金も発生しないタダの地位を上げることで人のやる気を向上させている実に考えられている組織だということだ。
 元々金に興味が薄い人たちが集まっているから金ではなく、名誉で縛ればいいだけのこと。名誉はコミュニティによって千差万別だから一定の基準は出せない。しかも世との隔絶を図る組織ならば尚のこと好都合。この組織で地位を得ればいいだけの話。
 世もJWも本質的にはあんまり変わりがない。結局はそれだけの話。自分がやり甲斐をもって携われるかだけ。その携わる原動力が金か名誉かと言うだけの話。JWも世間もそんなもんだ。その名誉が見いだせるなら現役続行だし見いだせないなら他の道を考えるべきではないだろうか。

*1:仕事へのやり甲斐は名誉と読み替える