親との関係

Arlecchino2006-11-11

 この日記を書いて二年近く経つが、色々なご意見を頂くことも多い。中でも批判系から多いのが

お前はうじうじしている。とっとと決別しろ!

という内容。うじうじしているんだろうか?ものの見方によればそれも一理あると思う。だが、この”うじうじ”している背景には、やはり親との関係を第一にしたいという思いがある。
 私の場合は何度も書いているが親を全く恨んでいない。むしろ親に感謝している。JWを親が選び私に強要したことも。大学を卒業した親が子供にも大学教育を受けさせたいと思うのと同じだろう。親がベストだと選択したこと。それを子にも勧めたいと思うのは絶対間違っていないと思うしそれは愛故の行為だ。
 早く親と決別しろと勧める方々は親御さんと仲良くない方が多いように見受けられる。そもそも宗教がどうのこうのと言う前に、親と子なのだ。赤の他人ならばともかく親子関係の前では宗教は二の次になる。宗教抜きで語れる存在なのが親子なのだ。
 それにもかかわらず宗教を盾に取り親子の絆を断つよう勧める方々が居る。恐らく仲間が欲しいのだろう。自分がそうであるように、親を憎むようなそういう仲間が欲しいのだろう。だが、残念なことに私は親を憎んでいないし憎む気もない。できれば良好な関係を続けていきたいと願うのだ。やがて結婚し子供が生まれたりしたら、それを都度祝福して欲しいしお互いに喜び合いたい。それのどこがオカシイのだろう。自然な親子関係ならばそれを願うのは自然なことだと思う。
 最近社会で見ていると思うのだが、○○だ!と決めつけて即断している人たちは往々にして人間関係を構築するのが下手だ。空気を読むことが出来ない人も多い。私は違う。今の会社でも実に上手く人間関係を構築している。どんなコミュニティにいても憎まれることなく皆から好かれる人間になり仰せている。それが出来るか出来ないかは大きい。社会で生きていく限りは・・・。
 恐らく、そうなることが出来ない方々が親と決別し、似たような境遇の方々と集まりあい傷をなめ合うのだろう。一つはっきり言っておくと決して親と上手くいってない元JW二世を批判しているというわけではないということ。中には願いながらも親がキチガイでそういうケースに至っている事も多いと思う。私が言うのはキチガイではないケースだ。子のエゴで親と争った場合の話。
 私の家は親は正常私も正常。その正常同士の人間が如何にこれからも良好な親子関係を築けるかを日々模索しているのだ。それが私の道。