クリスマス考

Arlecchino2007-01-02

 年が明けて、ここ数年当たり前のようにクリスマスやら正月やらのお祝い系のイベントに参加してる。最近では大人っぽく、他人の夫婦のうちに皆で集まり誕生日会なんかをしたりして、すっかりこの手のイベントへの違和感が無くなった。
 しかし、が、しかしである。いつも参加してても、いまいち自分だけそのお祝いの輪の中でぽつんとしている気がする。それというのも、幼い頃からさして誕生日なりクリスマスなりが特別視されていないせいか、どうも今更お祝い気分にならないのだ。
 友達に聞くと、(特に女性は)クリスマスや誕生会などの会はワクワクしてしまって、20歳を過ぎたってその日が来るのが待ち遠しいくらいだという。あのクリスマスとかのプレゼント交換とかも、友達とかとワクワクしながらプレゼントを交換する瞬間が楽しいという。
 私は、プレゼントも貰ったことは多々あるが、特別な演出というものが付随していなかったせいか、いまいちこのワクワク感が沸かない。こういうのは幼い頃の記憶とかが大きく左右するので幼い頃にこういうイベントを味わったことがない人間には今更感じるのは無理なのだろう。
 実家に、母がこれ見よがしにおいてある目ざめよ!があったので目を通していると、北欧のどっかの国では父の日、母の日以外に祖母の日や祖父の日などがあるらしく街頭インタビューで祖母の日に何をあげますか?みたいなインタビューをしたところJWにひっかかり、そこでそのJWがおきまりの

私は祖母の日に贈り物はしません。
しかし、祖母の日ではなく他の日にたくさんプレゼンを贈っています。年に一回しか祝わないのと、毎日祖母を敬いプレゼントを贈ったり感謝を表すのとではどっちが良いでしょうか?

的な事を言って記者が感銘を受けたというものだった。
 この手の話はよくあることだが、正直・・・毎日とか祝われた記憶もないし、世の中の誕生日の様なお祝い?もされたことがない。親としては、色々なものを年中あげてるから年に一回祝うより良いだろうということなのだろうが、年に一回だから貴重な日という思いも募るのだろう。毎日ステーキを食べていたらステーキのありがたみも無くなる。それと同じだ。
 JWも誕生日を祝わないなら、一年に一回くらい代替日をもうけるべきだ。誕生日は祝っちゃいけないけど、生まれたことに感謝する日とかにして、それを祝うことは有りだろう。異境にも端を発さないオリジナルの日だ。死の記念式はお祝いムードではないから、自分でオリジナル祝いにするしかない。
 トラウマとは言わないけど、やっぱり、世間のイベントを味わうたびに自分にはこの手の”お祝い感性”が欠如していると感じる。親の皆さん・・JWやっていてもいいので、イベント毎は欠かさないでくださいな。お子さんのためにも。