JWの遺産

Arlecchino2007-01-15

 社会に出た人なら解ると思うが、今更ながらJW時代の遺産に感謝することがある。あの時代あの時は何も解らずとにかくがむしゃらに色々していたけど、実際社会に出て色々仕事をしているとあのときの経験が生きてくる。
 伝道だって飛び込み営業に見込めば相当な訓練になるのだ。見た目怪しくて且つ宗教という悪材料の中雑誌を配布したり研究を取り決めるというのは相当なスキルがいる。
 そんなことを物心つく頃からしていた自分に取っては、そういうことを特別意識することはマルでなかった。だが、しかし、高校を終え社会に出たりまた大学に行ったりしてそんな経過を辿る頃その価値が解るようになってきた。
 かなり大勢の前でプレゼンしろと言われても全く緊張せずに出来るのだ。しかも、神権学校時代に培った機知に富んだ話や、例え、ちょっとした上品なユーモア、そんなものを織り交ぜて話をすることが出来る。
 結構今の会社で、所謂世の中での成功者とか営業の達人なんかを目にしてきた。だけど、その人たちどれを見てもJWの話が上手い兄弟とかにはかなわない。そんな印象を率直に思った。自分も決してプレゼンが上手いとか慢心していないが、それでも目にする大概の人間よりは上手い自信があった。
 先日会社の中で支社の全社員の前でプレゼンをする機会があった。その際発表する15組の中でもっとも興味深かったプレゼンに話を聞いた社員が投票をするという企画があり、その中で私も発表をする機会を与えられた。
 素直に発表をした。神権学校で鍛えられた、場慣れ感覚と大衆にどういう事を言えばウケが良いかとかそういうのを全部加味して今までの経験を生かしてプレゼンした。プレゼンが終わった後自分の中では、上手くやったなという印象だった。
 身振り手振り、強調抑揚、例え、ユニークさどれをとっても先輩社員の誰より上手かった。先輩社員の中には職位が2個も3個も上の人が多かった。その中で平の私が堂々発表したのは周りから驚きの目で見られていた。
 結果・・・・見事一位に選ばれて支社の中で第一位の名誉を獲得した。勿論私は、JW時代からも割り当てが上手かったという自負はあったが、結局あの世界は長老とかでもない限り幾ら上手くても平信徒は良か努のどっちか。長老と同じ土俵で投票なんてない。でも社会では部長とプレゼン勝負とかができる。
 今回だって、部長も課長も、私より役職が上の人が大勢いた。その中で平の私が選出されたのは、本当にJW時代の負の遺産が生きたそれの一言に他ならない。決してJWに感謝はしないが、本当にああいう環境をくれたあの組織の教育には感謝する。
 まあでもじゃあJW全員がプレゼン上手いかといえばそうではない、だけど、100人以上の前でプレゼンするなんて大企業の課長でもそんなに無い経験。それを小学校時代からしているJWそれはそれは場慣れ感覚が凄い。上手くて当たり前。勿論下手な人はいっぱい居るけど、それはセンスと努力でどうにでもなる。そのセンスと努力が世の中で通用した。自分の過去が無駄ではないと思った瞬間だ。