戻る人出る人

Arlecchino2007-02-15

 帰るものいれば去るものがいる。先日知り合いのJWから連絡が突然来た。

○○姉妹って排斥されたって聞いたんだけど。

○○姉妹は私が東京にいたとき親しくしていた姉妹で、飲み仲間、遊び仲間だった。フランクな考え方ができる人だったので、だんだん私がエスカレートして結局は私が、彼女を巻き込んだ形でドンドン組織から光子速度な勢いで引き離してしまった気がする。私が初めて東京に来たときは、もちろんあまりぶっちゃけないし過激なことも言わなかったが、回数を重ねるうちにだんだんトークも過激になり、本音が出てやがてJW批判に走るようになった。彼女だけでなく回りにいた数人も巻き込んだ気がする。
 私自身東京に出るとき、親元から離れることもあって、その手の期待が無かったわけではないが根がJWありきの世界だったのでそんな過激な行動には出まいと考えていた。ところが、一度外に出ると世界観が変わる。もちろん、外に出るのが必要の大きなところとかだったら話は違うのだろうが、そうではなく大学という新しい世界だったことも働いたのかもしれない。内の世界に閉じこもらず新しい世界との交流があった。それもあってか、一気にそこで私の過去ウン十年のJW人生の”信仰”とやらは崩れ去った。いや、もともと崩れていたのだが、親の手前とか周りの手前遠慮していたのだと思う。間違っていると思っていたが行動する勇気が無かっただけだ。
 とはいえ、最初から大胆な行動に出たわけではなく最初はJWと歩調を合わせて行動していた。だが、やがて体面を保つためだけに集会にいくのが面倒くさくなり、それを機に吹っ切れて、波長が合う仲間にぶっちゃけ話をしていき、徐々に徐々に自分に素直なほうへほうへと進むようになった。周りを巻き込んだと言うが、私も周りから力を貰ったゆえに行動できたところもあった。今、振り返れば私だけの行動力ではない気がする。親からすれば「悪い交わりは有益な云々・・」というところなのだろうが、そんなことは知ったことではない。勝手に自分の意見を押し付けておいて、悪いも良いもあったもんじゃない。
 とまあ、話はそれたが彼女はそんな私の巻き込みに巻き込まれた人であり、同時に私にも力をくれた人だった。なので、大学の後期からは私と同じような道をたどっていた。最終的には彼女は勇気と行動力がある人だったので断絶を選び、然るべき書式で所属会衆宛に断絶する旨を通知したらしい。私も経験的に初めてなのだが、その後会衆から断絶状受理のお知らせ的なものが、内容証明郵便で届くらしい。それで晴れて彼女は断絶したわけだ。
 ところで、最近は断絶だろうが排斥だろうがその内訳をはっきりと言わないらしい。だから、会衆では排斥されましたという発表だけがなされ、断絶なのか排斥なのかは明らかにならない。私の知り合い経由でそういう話が伝わってきたのも恐らくはそういう理由からだろう。ところで、そのJWにどう答えたかというと

さぁ?知りません

だ。狭い世界だ・・・こういう話は遠く離れた関西まで伝わってくるのかと、驚いた1コマだった。