節目

Arlecchino2007-04-01

 気がつけば四月になった。3月は殆ど書くことができなかった。やはり年度末ということで忙しいこともあったが、原因はそれだけでない気がする。最近、ここ数年自分がJWから縁遠い生活をしてきているせいか、訴訟などで訴えるつもりでいる被害者が段々時とともに被害意識が風化するのと似ていて、段々怒りの感情が少なくなってきてしまっている。そうなると書く意欲などが低下してしまう。
 低下すると言うより書くネタが無いのだ。例えば今の事情がわからないので、批判しようがないというのもあるし、怒りの思いが当時と今では違いそうなので、今の現状を知らずに的はずれの批判をしたらそれは寒い気がする。よく、15年とか前*1の信者だった人がweb上で今ではまったく行われていない風習を批判していたりすることがあるけど、それは端から見ていて滑稽だ。
 そして、その滑稽さを誰かに指摘されたらムキになって「私が所属していたときはこういう風習があった!」と怒り返す。批判する方もそうだが、情報が古いのにそこをわざわざ書く方もずれている。そこがJW指摘の論点ではないので、そういう遣り取りをすることに意味があるとは思えない。
 そう考えると、自分がこれからもJW批判のブログをつづる事に意味があるかどうか疑問になってくる。かといって、自分で情報を探したり情報交換をして、最新JW情報を掴んでそこを指摘したいと思うほど意欲はない。知らないのに批判をするほど厚顔無恥でもない。やはり、このネタで書き続けていくのは難しそうだ。
 日常の生活のことなら幾らでも書くことがあるのだが、それではJW二世的とうたってはいけない。もっと日常の生活的な題名にせねば看板に偽りありになる。どこかで節目として、このブログを一度総括しなければいけなのではないのだろうか。最近益々そんな気になっている。

*1:例え話