年収格差

Arlecchino2007-09-29

こんな記事があった。

民間の平均年収434万円、9年連続減…景気回復及ばず
9月27日20時13分配信 読売新聞

 民間企業で働く人が2006年中に得た平均給与は前年を2万円(0・4%)下回る434万9000円となり、9年連続で減少したことが27日、国税庁の実態統計調査でわかった。

 同庁の別の統計では、企業の業績アップや地価の上昇を反映し、土地の貸し付けなどに伴う不動産所得が8年連続で、株などの配当所得も3年連続で前年を上回っているが、サラリーマンの給与には景気回復の影響が及んでいないようだ。

 昨年1年間を通じて民間企業に勤めた給与所得者は、前年比9万人(0・2%)減の4485万人、給与総額は同1兆2626億円(0・6%)減の195兆153億円だった。

 給与が1000万円超の人は224万人で前年より9万人増えたが、300万円以下の人も前年より49万人増えて1741万人となり、給与所得の格差は拡大した。

 この日記で、経済格差を云々いうつもりはない。ここは別にそう言うことをいう場ではないし別にそこについては気にしていない。
 ただ、この平均年収を見ていて、JW時代の薄給を思い出した。当時確か学歴もなかったために、凄いどん底の生活をしていた気がする。実家に居たからよかったようなものの、あのままあの暮らしを続けていたら、誇りを持つこともできなかっただろうし、楽しい生活は送れていなかった気がする。
 当時土曜日も仕事をしていて、かなり忙しくてたまには徹夜で仕事をしたりして、平日は集会の為に急いで帰っていた。希に取れる休みは奉仕をしたりしていたのであまり時間に余裕が無かった気がする。
 そんな仕事っぷりでも年収は300万円を超えることがなく、250万ちょっとの収入だった。時給のいい職場などで手伝いをしている開拓者の姉妹とかが、週3日くらいなのに私の年収を上回ることをしって愕然としたことがあった。苦労もしているし、頑張っているのに報われない。何のために仕事をしているんだろうと。
 集会場では、開拓者よりは奉仕時間も少ないために扱いは低くなる。世の中的にも中途半端で、JW的にも中途半端というまさにどっちつかずな状況。全時間で働いている人間の唯一の誇りは年収が多いことのはずなのだが、その年収すら開拓者に負けてしまうと何も拠り所が無くなってしまう。

どうせ一杯貰ってるんでしょ?

などと言われるたびに、あんまり貰ってないんだよな・・と心の中で思ったモノだった。
 その暮らしからすると、この435万円というのは結構貰えてる方だと思う。というか435万円もあれば普通にそこそこな生活できるだろう。ただ、不思議なモノで、自分がお金に余裕が出ると、この手の話題があまり気にならなくなる。いや気にならなくなるというか、今までとは違う見方になる。
 自分の収入が低かったときは、こういうニュースを見ては平均にすら達してない自分の年収を見て落ち込んだモノだが、最近自分はお金に余裕が出来てきたので、この手の話を見ていても俯瞰していることが多くなってきた。なるほど、これが世間の平均か、という感じだ。流石に、1000万円とかの話題を見ると、まだ上があるとは思うが。
 JWを捨て得たものはお金だけではないが、お金の差は心の余裕に大きな違いをもたらしたものだったと思う。お金が一杯欲しいとかそういう思いは全くないけど、不自由が無く、自尊心が持てる程度の暮らしができるお金は大事だと思う。今はそれがある。そんなことを思いだした記事だった。