やっぱりJWが良かった1

Arlecchino2009-04-12

 さて、身辺の変化については結婚があったことが一番のトピックになるわけですが、仕事の面でも大きな変化がありました。今の会社で手柄が認められて出世し、世間で家庭を持つには遜色が無いだけの収入を得ることに。勤務地も関西から本社のある東京に移動です。ライバルというといいすぎですが、競合する社員は数万人規模でいます。そのうち本社勤務が数千人だとしても、この数年は数千人相手に出世競争を繰り広げていました。
 最初、土木の仕事をしていたときは、自分は頭も悪い・・でも、テレビドラマに出てくるような綺麗で立地のいい豪華なオフィスで働きたいと思っていました。人生の途中で気がついたのが、そういうオフィスで働くにはいい大学を出て戦いを勝ち抜いていないといけないということでした。自分はその機会を全て捨てて高卒の道を選びました。いや、捨てたなんて格好いいものではなく逃げたし、仮に勉強の道を歩いていたら三流大学にはいってグダグダな人生を送っていたかもしれません。
 自分は今でも思うのが大して頭は良くないということです。JW時代と同じです。思えばJW時代も大して霊的ではなかったのですが、いつかの日記で書いたように人から霊的に思われるにはどうしたらいいかというテクニックを磨いていました。注解も「エホバです」的な簡単なものではなく、含蓄ありインテリジェンス漂うものにしたり。その予習も時間をかけたくないので、ライブラリをフル活用して、過去の協会の注解を引用して、自分の言葉に置き換えたりして。本来はその注解が自分の心から出ていてれば所謂霊的って人になったんでしょうね。
 神権学校の講話をする際も、知的な話し方を練習し、多くの人の前で臆せず話すテクニックやタイムコントロールを身に着けました。それもこれもJW組織の中で一目置かれたいとか、もてたいとか少し邪な動機からでした。でもね、思春期の男子なんてそんなものだと思うのですよ。目の前に見えている魅力的な女子より目に見えない神のためにそれが出来る人は、頭がいってるか、無理しているかです。
 よく、世の中に飛び出す人たちは、まるで準備をしていないのかなと思います。世に何も準備せず飛び出すなんて、ハイヒールで登山するようなものです。JWから抜け出すのはいいのですが、世間はそんなに甘くありません。田舎から飛び出して都会にいきなり来ても就職一つ、住むところ一つ見つけられずたちまち路頭に迷います。そして、また田舎に帰りやっぱりJWは良かったという発想になるのです。そりゃそうでしょ、世の中で負けて帰ってきたのですから古巣が恋しく居心地いいのは当たり前です。世に出るのも準備が必要になります。私は、脱JWすることは4年がかりの計画で頭の中に漠然と描いていました。
 大学への進学を考えた頃から人生のやり直しを考え、そこで友達や知り合いや世間的感覚全てを含めて構築してしまおうと計画しました。結果、4年で見事にその準備は整いJWから脱しても困ることが無いだけの基盤が整いました。友人、知人、環境、身分、何をとってもJWに頼らなくていいだけの材料はそろいました。大学卒業で移動を機にJWからは疎遠になりました。そして、結婚もある程度複線をはり親達とも上手くやっていきつつJWからフェードアウトできるように準備を。人生何事も準備が肝要です。(続く)