マインドコントロール

Arlecchino2009-05-31

 オウム真理教の時でしょうか?この概念が世間に広まったのは。洗脳とかとも言われていますが。宗教に限らず、組織をまとめるためにはある程度の洗脳が必要になると思います。愛校心とかもその一種かなと思います。高校野球という一見するとさわやかな話なので本質に気がつきませんが、一致団結した応援のために自分の高校が日本一だ、自分の高校愛している、と高校が誇りを持たせる行為は洗脳の一種です。悪い洗脳と良い洗脳があるのだと思いますけどね。
 JWの教理も洗脳によるコントロールをしています。地獄ではないですが、ハルマゲドンが来るという脅しや、鞭があれば飴もあり楽園という対価など。いつも神には見られているとか。信者特有の概念があり、それが頭にあるとどうしても離れずその見えないものに怯えてしまいます。
 オウムの洗脳を解いたことで有名な脳機能学者苫米地英人氏が上祐史浩のことについて語っていました。大学時代にディベートサークルで一緒だったみたいですね。まあ、それはさておき、記者が上祐史浩はマインドコントロールが解けたのか?という質問に、彼はそもそもマインドコントロールに掛かっていなかったんじゃないか?という指摘をしていました。マインドコントロールに掛かっていなければ解くも解かないもありません。そんなことあるんでしょうか?
 あると思います。私がそうでしたし。私はそもそもマインドコントロールに掛かっていませんでした。祈りの行為や神の存在やハルマゲドンについても、それはそれで教えとして頭に入れていましたが、それが明日来るような危機感は抱いていませんでした。悪く言えば不信仰だったんでしょうね。でも、母が信じている以上目の前に置かれた世界は母基準です。日本には日本の法律があり、イスラムにはイスラムの法律があるように家庭毎にそういう細則はあります。
 私は、私の家の法律がそれなんだというとらえ方で、躾とかと同じレベルで捉えていました。だから、楽園にいったら何がしたいか?なんて話の時も内心「ぷっ」と思いながらも周りに話を合わせて「皆本気で信じているのかな?」なんて思っていました。大体、楽園にいくとなんか、ナチュラリストみたいな生活する感じで挿絵に描いてあったけど、今の便利なレンジを使ったり蛇口ひねれば水が出る生活無くなるんですよね。。。原始時代みたいな生活して楽しいのだろうか?と疑問に思ったこともありました。その辺についてあまり突っ込むと、背教的とか言われるので何も言いませんでした。
 元から空気を読むのは得意だったので、周りがどこまでは許してくれてどこからが引くかは心得ていました。周りが引かない程度に会話をしてその場を盛り上げていた気がします。
 結局マインドコントロールにもともとかかっていなかったんで、組織の中で上手く生きることができて、組織から出ても葛藤せず一般社会にとけ込むことが出来たのだと思います。マインドコントロールに掛からないコツは、おかしいと思ったら全てを疑うことですかね。そういう意味では、私は理屈で説明がつかないことは全て疑ってしまうので、超自然的や神秘的なことについてマインドコントロール攻勢をかけられてもひっかからないかもしれません。科学的に責められると弱いですが。でも、科学というマインドコントロールには掛かっているかもしれません。科学で神がいることを証明されたら受け入れてしまいますねきっと。そういう意味では私も、宗教のマインドコントロールに掛からないだけで、同じ種類の住民かもしれません。宗教家科学かの違いだけで。